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さようなら、クラウディオ・アバド (No.1888 14/01/21)

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 今朝の新聞第一面にイタリアの指揮者、クラウディオ・アバド(Claudio Abbado)が亡くなった訃報が出ていた。以前から彼がガンを患っていたのは知っていたが、それでも細々ながら時々は出てきて素晴らしい演奏をやっていると思っていた。それが突然の訃報である。尊敬する指揮者の死に深い悲しみを感じている。
 高名な音楽家の不意の死は小生のような老人には心に穴を開けられたようなショックを受ける。ジュゼッペ・シノポリがベルリンでアイーダを演奏中に心筋梗塞で突然死したときもそうだったし、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウが亡くなったときも「エエーッ」と思った。それが今度はアバドだ。
 しかし、新聞報道によれば80歳だったというから、人生を全うしてあの世に旅立ったのだろう。68年にミラノ・スカラ座主席指揮者、86年にはウィーン国立歌劇場音楽監督、90年にはベルリン・フィル芸術監督に就任し、カラヤンなき後のベルリン・フィルを立ち上げた偉大な指揮者は、十分に自分の音楽芸術を築きあげて終えたのである。
 しかし、残念なことに小生はそれだけ活躍していたアバドの演奏を生で聴いたことがなかった。日本にも何度も来日しているが、その姿をこの目で見、音楽を耳で聴く機会は永遠に失われてしまったのである。このブログの右端にあるライフログにお気に入りの本や音楽を登録する欄がある。そこに小生はアバドが指揮したマーラーの交響曲第二番復活をあげている。このDVDは小生の大好きな曲なのだ。
 アバドは96年にベルリン・フィルを率いて来日し、サントリーホールでマーラーの交響曲第二番復活も演奏している。このときの録音版も持っているが、ライフログに載せた2003年のスイス・ルツェルン音楽祭でのライブ録音DVDのほうがはるかにいい。最新の映像録音技術で収録したもので、オーケストラもいいが、ソプラノとメゾソプラノの二人の歌手の歌声が入る第四楽章から後、フィナーレまでしびれるような感動を受ける名演奏である。
 アバドはとくにマーラーがどれも素晴らしいできだと小生は思っているが、死をテーマにした第九交響曲もすごい。この曲は最後の第四楽章をマーラー自身がersterbend(死に絶えるように)演奏せよと書いている。「死に絶えるように」とはどんなものだろうか。2004年にローマ、サンタ・チェチーリア音楽院ホールでのライブ録音DVDでアバドはこの「死に絶えるように演奏せよ」というマーラーの指示をすごい緊張感ただよう演奏で締めくくっている。普通演奏会では照明は最後まで明るいままだが、アバドは第四楽章の最後で次第に音が小さくなるにつれて照明を暗くし、最後の数分間は死の静寂を思わせる闇で終わらせるのだ。
 耳を澄まさなければほとんど聞こえない音がさらに消え入るようになっていくとき、アバドの指揮棒は、ほんの数㎝、いや数㎜だけ動かしていく。そして死がすべてを覆い尽くすように照明がゆっくり消えて闇が広がる。音も光もない沈黙の数分間、聴衆はわずかな物音さえ出せないものすごい緊張感のなかに放り込まれてフィナーレを迎えるのである。
 アバドはそんな素晴らしい遺産を我々に残して人生を終えて行った。小生今夜はマーラーの第九交響曲を聴いて、亡き偉大な指揮者を思い出すつもりだ。
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2003年8月、スイス・ルツェルン音楽祭でマーラーの交響曲第二番復活を指揮するクラウディオ・アバド。もう彼の姿を見ることはできないのだ。

by Weltgeist | 2014-01-21 23:56


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