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人生で出会う比較級 (No.1653 13/03/28)

 激しい競争が繰り広げられている現代社会の中に今年も学校を卒業した新人たちが入ってくる。彼らが少しでもマシな人生を送るにはどうしたらいいのだろうか。社会人となって親がかりの学生の身分から、曲がりなりにも自立せざるを得ない彼らはきっと厳しい場面に直面することもあるだろう。だが、ここでは誰も助けてくれない。全部自分で考え処理して乗り越えるしかないのだ。学生時代と同じのんびりとした態度を続けていると、たちどころに社会の荒波にもまれて、人生の脱落者になりかねない。
 しかし、小生に言わせれば「人生の脱落者」なんてどうでもいいことだと思っている。なぜなら、人間の能力など一部の天才を除けばだれも大差ないからだ。五十歩百歩のどんぐりの背比べである。
 競争社会では、いつしか自分は勝ち組なのか、それとも負け組なのかと思い悩むことがある。そのとき何を基準に勝った、負けたと判断しているのか、もう一度考えてみよう。お金か、出世か、財産か、基準となるものは沢山ある。だが、実はそうした比較をする時点ですでに道を誤っているのである。なぜなら、比較とは数値化されるものを基準にやるからだ。たとえばお金、年収が200万円と500万円、1億円では差は歴然とする。500万の人は200万に対しては勝ち組だが、1億には負け組である。数字で表せるものは見方によって際限がない。いつもどこかに不満足をもたらす元凶となるのである。
 必ず自分より低い者も高い者もいるから比較は、人生を悪しき循環に陥れさせる恐れがあるのだ。自分の評価を数量で表される物で比較すれば、アリ地獄におちたアリのように死ぬまでもがき苦しまなければならないのである。
 この悪循環から抜け出すには、自分の生きる根拠を別なものに置くしかない。お金や出世といった量による比較級ではなく、絶対に比較できないものに人生の根拠を置くことである。
 それはあなたに与えられた命だ。これだけは絶対に誰と比較しても負けることはない。そして、誰にも取って代わることのできない最高のものである。全ての日常的な比較級から抜け出して、自分の命を輝かせることだ。だが、そのやり方は誰も教えてはくれない。自分の命は自分で輝かせるしかないのだ。自らを静かに見つめ、自分の与えられた命をどう生かしていくのか、心底考える。ここにおいては人生の勝ち組、負け組なんてことはまったく意味を持たなくなるのである。
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散歩中にある家の門柱にこんなきれいな花が置いてあるのをみつけた。鉢の裏側に「アネモネ・ポルト」という名前が書いてある。どうやらアネモネの仲間らしいこの花が、春の日差しで美しく輝いていた。もしこの世が創造主によって造られたものとすれば、このような美しい花を造った彼の美意識はなんと素晴らしいものだろうかと思わされた。
by Weltgeist | 2013-03-28 23:55


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