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正しいものの基準とは何か (No.1516 12/10/22)

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 一昨日と昨日の二日連続して万座温泉の写真をアップしたら妻から写真の色が変だと指摘された。自分のパソコンで見たときには「まあ、こんなものだろう」と軽く思ってアップしたものが、彼女のパソコンだと小生のと違ったくすんだ色になっている。
 パソコンのディスプレイに表示される色って十人十色で、全員がそれぞれ違った色に表示される。そのことを彼女の注意で思い出したのである。デジタルカメラの写真やパソコンのディスプレイは光の三原色、R(赤)G(緑)B(青)の三色の組み合わせで表現される。無限にある現実の色を三つの色で表現するのでどこかに無理が出て違った色に見えてくるのである。
 しかしそうはいっても表示が滅茶苦茶に違うわけではない。差は許容できる範囲のごくわずかな違いである。小生は昨晩アップするとき「こんなものだろう」と妥協しつつ掲載した。他の人も多少の違いは暗黙の了解をして見ていると思い込んでいたのである。
 それで今夜は、PhotoshopCS6で実際の色に近いよう自分なりに気を入れてレタッチした紅葉の写真をもう一度掲載することにした。小生のディスプレイはキャリブレーションされたものではないので不満はあるが、解像度は高いので昨日のものよりマシだろうとは思っている。これが皆さんのディスプレイでどのように見えているだろうか。恐らく見る人のほぼ全員が少しずつ違った色味で見えていて、中には変な色と感じる人もいると思う。
 実はPCで見る限りどんなにキャリブレーションしたディスプレイでも現実の色を再現することはできない。仮に小生が最高のディスプレイでレタッチし「これでいい」と判断した色味でも実際の色には及ばないから、今日の写真もどこかに破綻が出てくるのである。
 我々はそんなあやふやなディスプレイで色を判断しているのだ。そして、困ったことにはそうした曖昧なことを基準に自分の判断が正しいと思い込む人がいることだ。判断する側があやふやなことを忘れて「こっちが正しい」と判断する。そうした思い込みって実生活では他にもいっぱい例があるのである。
 正しいことの基準はあるようでいて実は無い、すごく曖昧なものなのである。そのくせ誰もが自分の判断は絶対正しいと思い込む。中国の反日デモ参加者を見ればよく分かるだろう。我々から見れば明らかにおかしいけれど彼ら中国人にとっては「絶対的な正義」の主張と思い込んで少しも疑わない。彼らにとって正義の基準が違うから、我々がいくら違うと言っても納得しないのだ。
 パソコンの能力が曖昧なのと同じで、正しいことを判断する側があやふやならその結果もあやふやになる。判断する側が正しいことの基準を明確に持っていない限り「正しい」とか「間違っている」とは言えないのだ。
 世の中にはこれと同じようなことが沢山転がっている。我々は正しいことの基準は曖昧だということを常に頭の隅においておき、何が正しいのかを考えつつ慎重に行動しなければ道を間違える恐れがあるのである。
by Weltgeist | 2012-10-22 23:21


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