毎日ブログを書いていると、ときどき思いもしないアクシデントに見舞われることがある。実は昨晩、フッサールの現象学について書いていて、おおよそできあがったところでスキャナーの電源を入れてフッサールの写真を取り込もうとしたとき、うかつにもPCの電源コードを抜いてしまった。小生のPCはデスクトップで、バッテリーはついていない。電源が落ちればデータは一瞬で消えてしまう。以前古いPCではしばしば作業中に電源が落ちてデータが消えたので注意していたが、新しいPCではそんなことはないと油断して保存を一切していなかったのである。電源が切れたのが午後11時少し前。締め切り時間の12時までに新しく書き直すことは不可能である。結局、12時直前に書きかけの生原稿を少しだけアップし、そのあと午前3時までかけて完成させるという、ちょっとアンフェアーなやり方で昨晩はしのいだ。
一度書いたものをもう一度やり直すというのは、たいへんな苦痛である。最初はショックが大きすぎて昨日のアップは休もうと思ったが、気を取り直して何とかイデーンの部分は終わらせた。しかし、書き直しているうちに次第にフッサールに対して腹が立つようになってきた。「このオヤジは簡単な事柄をなんでこんなにややっこしい言い方で言わなければならないのか。もっと分かりやすい言葉で端的にいえるだろうに」と八つ当たりしたい気持がつのってきたのだ。そこで還元のもう一方の重要な部分、形相的還元がとばっちりを受けることになる。形相的還元は「基本的には超越論的還元と同じだからいいや」と判断し、簡単な説明だけで端折ることにしたのである。 さて、今日取り上げる「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学= Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie / 1936 」についても同じような感想を持っている。フッサールの言いたいことはすでにイデーンで言い尽くされていて、こまかなほころびを縫い合わせたという感想しかないのである。それでも頑張って取り上げたのは、後期の思想を代表する本書において、フッサールはいままでとは違って人間存在についての生々しい思いを語り始めたからだ。イデーンのように、頭のなかだけで理屈をこねくり回した方法論とは違う、生きた人間・フッサールを感じたからだ。 「ヨーロッパ諸学の危機・・」の最初のところで本書が目指す目的が書かれている。これまで述べてきたように、科学は自然的態度で曖昧だし、全ての学の基礎たる哲学もあやふやになっている。このような「危機は哲学的普遍性の構成分と見られる近代の全学門の危機で・・・世界がその意味を得るところの絶対的理性への信頼、歴史の意味への信頼、人間性への、人間の自由が崩壊する」(ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学、細谷恒夫、木田元訳、中央公論社、P.26)恐れがあると、彼が危機感を感じているからである。 古代ギリシャ人は理性的存在者として自由な理性で自分を律していた。それが中世になって完全に崩れてしまう。「ルネッサンス人は、・・神話と伝統一般の拘束から解き放たれ、冷静な世界考察に着手し、一切の先入見を去って、世界と人間との普遍的認識に着手せねばならない」(同、PP.19-20)といって中世の科学者・ガリレイの批判を始めるのである。 「物理学の、したがってまた物理的自然の発見者ガリレイ、彼は・・発見する天才であると同時に隠蔽する天才でもある。彼は数学的自然、、また方法的理念を発見し、無限の物理的発見のための道を切り開いた。・・因果法則と呼ばれるもの、すなわち真の世界のアプリオリな形式を発見し、理念化された自然のあらゆることが精密な法則に従わなければならないことを発見した。これらはすべて発見であるとともに隠蔽である」(PP.74-75)と面白いことをいう。 なぜ隠蔽なのか。それはガリレイによって発見された数学的自然、すなわち因果法則に我々も従わなければならないかもしれないが、それは私たちの知覚的経験世界に対応するものをもっていないからだ。数学の世界で経験世界が解読できるのか。数学的自然と知覚的経験世界の二つは、その成り立ちからして別の世界なのである。そのことを問わなければならないのに、ガリレイがそれをやった形跡はない。ガリレイによって「私たちの経験世界が数学的な理念の衣によって覆われた」とフッサールは批判するのである。 ここでフッサールは生活世界( Lebenswelt )ということを言い出す。純粋な理念の世界とそれによって構成された科学的世界はいずれも生活世界に基盤をもっている。しかし、ガリレオが発見し、また隠蔽をした科学的世界は生活世界の一部分であって、生活世界のすべてではない、生活世界は科学的世界をみずからのうちに含んだ包括的な世界として私たちの前に姿をあらわしているのである。とすれば我々がなすべきは科学的世界から生活世界への還元である。なぜなら生活世界こそ我々が生きる基盤であるからだ。 還元された生活世界は主観でも客観でもない。すべてを包み込む地盤である。それは私と万人がともに生きている世界である。生活世界を導入することで、従来から現象学は独我論的傾向があると言われていた批判にも答えているのである。以前は現象学的還元を行うにしても、それは「私一人」でのことがらであった。「他人の存在をとれば相対主義を招いてしまう。他人が存在しなくなるか、世界が一つでなくなるか、要するに他者の存在と世界の共有はどう成立するのかが問題」(岡山敬二、傍観の十字路・フッサール、P.172)となるのである。生活世界はそのジレンマからの脱出口でもあったのだ。 「私は今の世界から抜け出せない。それを外から眺められるのは神のみである。ところが科学はあたかも神のような視点で世界を見ている」(前掲書 P.206 )ことになる。いいかえれば「客観的世界=科学の世界=神の視点の世界。生活世界=日常の世界=人間目線の世界」(同 P.209 )という構図が描ける。すなわち「客観的世界は個人の経験を超えた集まりであり、私の視点からじかに眺めることはできない。それは神の視点」(P.221)である。ところがいつの間にか有限な人間はあたかも無限な彼方まで知っていると錯覚するようになる。これを超越論的還元することで、生活世界に立ち返るのである。人は有限であるとともに神の視点をも持ちたいと願うのである。だが、それは可能なのだろうか。未完の論文ながら「ヨーロッパ諸学の危機」の最後は次のような文で終わっている。 「哲学、つまり学門はそのあらゆる形態においてより高い合理性への途上にある。それはその不十分な相対性を繰り返し発見しつつ、真の完全な合理性にゆきつかんとする苦難、それを闘いとらんとする意志へ駆り立ている合理性なのである。だが、この合理性はついには、そうして真の完全な合理性とは無限の彼方に存する理念であり、したがって事実上は必然的にそれへの途上にあるしかないことを発見する」(P.379)と。 我々の外に無限に拡がる世界、有限な人間はいかにしてそれをとらえられるのか。神の視点に人間が立つこと、これこそフッサールが現象学で一貫して追求してきたことである。神の視点は無限に遠くても、彼は不断に思索を続けていくしかないのである。 フッサールの現象学は今回が最終回です。 このスレッドを初めから読みたい方はこちらをクリックしてください。
by Weltgeist
| 2012-09-08 23:56
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