ニーチェ、その3(最終回)、等しきものの永劫回帰 (No.1324 12/02/29)

 昨日ニーチェの重要な用語として、ルサンチマン ( ressentiment ) という言葉を紹介した。それは能力のない弱い者が、優れた力のある強い者をねたみ、恨みつつを持ちつつも、その腹黒い怨恨の思いを隠して愛とか同情といった道徳的なことを語るという意味である。
 その典型がキリスト教であった。キリスト教とは、弱者が強者をねたみ、恨む気持ちから生まれた偽善の宗教である。彼らが言う愛だの救済だの無垢であるといったことは全部まやかしでしかないとニーチェは厳しく批判する。
 同様にニーチェはプラトンのイデアやカントの物自体(叡智界)など、人間の力が及ばない永遠な彼岸にあるもので、人間を道徳的に縛ろうとする哲学者をも攻撃する。イデアには永遠なる真・善・美があるというプラトンや、カントが実践理性批判で述べた「あなたの意志の格率が普遍的立法の原理に妥当するよう行為せよ」と言った道徳律が、優秀な強い人間を弱者の基準に引きずり下ろすルサンチマンの偽善に他ならないといって、猛烈に攻撃するのである。 
 ではニーチェが守ろうとした強い人間の生とはどのようなものだろうか。彼は「善悪の彼岸」の中で次のように書いている。
生そのものとは、本質的に他者や弱者をわがものにすること、侵害すること、打倒することである。すなわち他者を抑圧すること、自分の形式を押しつけること、同化することであって、ごく控えめに言っても、それは他者を搾取することである。
 ニーチェにとって強く生きるとはこういうことである。自分が自分らしく生きるためには、他者など関係ない。むしろ他者を押し倒し、彼らに自分の力を見せつけることである。キリストは「汝の隣人を愛せよ」と言った。しかし、隣人は愛の対象ではない。自分が生きていく上での搾取の対象である。本質的に他人などどうでもいいのだ。ここで愛だの道徳だのと言ったご託を並べる奴らなどひねり潰してしまえばいいのである。それがルサンチマンから脱却した強い人、すなわち「超人」の特権である。
 主著「ツアラトストラはかく語った」で盛んに言われた「超人」とは己の生を最高度に肯定し、ひたすら自らの力だけで高みに登りつめていく人のことである。超人は善悪を越えたところを目指すのだから、彼を縛るいかなる道徳もない。社会的な束縛に縛られることなく、何でも自分の思う通りに行動するのが超人である。だが、社会のルールを無視(つまり他人を抑圧し、踏み台として利用)したらどのような結果をもたらすか。欲望のままに勝手気ままに行動すれば、普通ならそのことで社会的な罰を受ける。しかし、善悪を超越している超人はそんなことは意に介さなくていいのだ。なぜなら、この世はどうあがいても全て虚しいからだ。
 神が死んで、ヨーロッパはニヒリズムに覆われるとニーチェは言った。そんな状況にあって彼は自分に忠実に力いっぱい生きる超人の思想を提唱する。しかし、超人になったからといってそこに何か新たな価値を見いだせるわけではない。世界は苦難に満ちた虚しい場、ニヒリズムが渦巻く場所であることは永遠に変わらないからである。
 だが、それでもニーチェは生きる意欲を失わない。超人として、どんなに虚しい結果を得ようとも、「よし、もう一度」と力強く決意するのである。これがニーチェが行き着いた「等しきものが永遠に回帰する永劫回帰  Ewige Wiederkunft des Gleichens  」の思想である。

 
 ニーチェはアフォリズムという短い散文形式で自分の思想を吐露していて、これがまとまりを欠いているようで分かりにくい。しかし、彼の根底にあるのは、ルサンチマン、すなわち、自分より優れた者に対する妬み、怨念である。だから、キリスト教やカント道徳律の批判が自分の妬み、被害妄想からきた批判になっている。論理的ではなく、気分的に「気に入らない」という批判で、その根拠が曖昧なのだ。ここがニーチェの魅力であるという人もいるし、ニーチェが嫌われる要因でもある。
 社会は確かにニーチェが言うように欺瞞と悪事に満ちたルサンチマンの世界かもしれない。しかし、その中にあって、少しでも良い点を見つけ出そうとする努力がどうして「奴隷の道徳」なのだろうか。苦しいことの中に希望の光を見つけたり、他人をおもんぱかり、ささやかな愛情を示すことがどうして偽善なのか。ニーチェはそんなことをする人間は弱虫で、心のどこかにルサンチマンが潜んでいるからだと言う。だが、それこそニーチェの誤解であり、彼の思想そのものがどこか歪んでいるからではないかと思えてしまう。ルサンチマンと断罪されるのは、むしろそうした歪んだ思想を持つニーチェそのものなのではないかと、小生は考えているのである。

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今朝起きたら一面が雪景色で家の前の山がたいへんきれいになっていた。家の中からこんな景色が見られることは幸せだなと、喜んだのだが、その後がたいへん。ハードな雪かきでまた持病の腰痛が出て泣かされることになってしまったのである。
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by Weltgeist | 2012-02-29 23:17


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