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自分の未来を知りたいですか (No.1237 11/11/26)

 もし自分の将来を見据えることができたら、幸せだろうか。とんでもない。恐らくこれくらい不幸なことはないだろう。一寸先が闇だからこそ生きている面白さがある。結果が分かっているレースなど、興味は半減する。勝つか負けるか、ぎりぎりの際どい勝負だから皆は注目する。そして期待通り勝利したとすれば、録画されたビデオを安心感を持って見るが、負けた勝負など不愉快で誰も見やしないだろう。
 人は暗くて良く見えない未来の明かりを見つけようと必死になる。世の中にはそれに答えてくれるフォーチュン・テラーなる人物がいる。易者然り、競馬の予想屋然り、経済アナリストの予測然り等々、世俗的な近未来予測をする人はごまんといる。だが、彼らの予測が当たることはほとんどない。それどころか予測していたこととは全然違った事態が次々と表れて、思いもしなかった出来事に四苦八苦しているのが実際である。未来のことなど誰にも分からないのだ。
 人生とはまるで真っ暗なお化け屋敷の迷路を、小さな懐中電灯だけで進んで行くのに似ている。次々と登場してくる魑魅魍魎(ちみもうりょう)のお化けにそのつど腰を抜かしながらもどこかにあるはずの出口を求めて先へ進んで行くしかない。しかし、それだからこそ人生は面白いと言える。息も切らさぬ緊張感の連続で知らず知らず人生に濃密な時の経過を刻み込むのである。
 易者の手相占いはお遊びであり、適当な嘘っぱちであるからまともに信じる人は少ないが、経済誌に書かれた株や為替の予想記事となると、少し事情が違ってくる。虎の子を託す人達は予想屋の言葉を福音のように聞いて投資し、大やけどをする。およそ「株屋」の予測くらい当てにならないものはないのだ。欲の皮が突っ張った人は予想屋が右と言ったら左に投資した方がいいと言いたい。
 絵に描いた未来の餅のことなど考えず、与えられた現在に最善を尽くすこと。今の自分にすべてを投じて努力し、その結果がどのようなものになろうともそれが「自分に与えられた成果」と受け止めることである。だが、これは現状に甘んじることではない。現状を自分の努力で変えろということである。ただ、努力の結果が良いものになるのか、駄目なものになるのかについて人は選ぶ立場にない。努力しても報われないことも十分あり得る。しかし、駄目な結果になっても、それを「良し」とする。それを受け入れるのに人は強さが要求される。その強さが再び自分を変える原動力をも生むのである。
 まるで映画のスクリーンを見ているように、目の前に展開する事態が次々と変わっていく。それを最後まで見ながら手探り状態で歩いていくのが人生ではないかと思えるのである。
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 ずっと昔、予定説ということをジャン・カルヴァン(Jean Calvin / 1509-1564年)が唱えていた。お前の未来はもうとっくに神様が決めていて、地獄行きが決まっているよ。だからジタバタしたところでどうにもならない。そう言ってカルバンは人々を不安のるつぼの中に放り込んだ。ここにあるのは未来予測における最大級の不幸である。だが、それでもカルヴァンは少しだけ人々に希望の火を残しておいてくれた。
 禁欲的生活をし、仕事に励む人なら天国に行ける可能性があるとしたのである。だからお前たちは欲を張ることなく文句を言わずに働け、とカルヴァンは不安な人々を労働に駆り立てた。これをマックス・ウエーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のなかでカルバンは資本主義のお先棒を担いでいると痛烈に批判したのである。

by Weltgeist | 2011-11-26 23:55


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