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人の死と終末医療 (No.1225 11/11/14)

 ちょっと時間が過ぎてしまったが、11月9日の毎日新聞夕刊に在宅医療を支援する「ケアタウン小平クリニック」の院長、山崎章郎さんという在宅医のインタビュー記事が載っていた。現代の医学をもってしても治療の効果がないと見放された人達が人生の最後を迎えるホスピス。それを運営している山崎医師は、死んで行く人をこれまで沢山見続けてきた。そんな彼が人の死の意味を語る言葉が印象的だったのでここで改めて紹介したい。

 もう治る見込みのない末期の患者に対して昔なら「ある段階で医師が、残念ながら・・と告げたのですが、ここ数年は治療に使われる薬の幅が拡がりました。医師は ”この薬が駄目なら、次はこの薬” と示し、患者さんも ”治るかも” と希望を持ちます。しかし、それで治らないものを曖昧にして患者が心身ともにヘトヘトになるまで治療を続けている」のが今の医療の現状である。
 「末期の患者に医師は究極的には痛みをとる手段は持っているけれど、治す手段は持っていません。その時医師は ”痛みをとります” ではなくて、"自分にできることを尽くさせてください” という姿勢が大事だと思います」と山崎医師は言うのだ。
 「過剰な医療がなければ、ほとんどの人は枯れるように、眠るようにして亡くなっていきます。看取る人も ”ああ、こんなふうにして人は死ぬんだ” と分かる。死は怖いものではありません」と思えるらしい。

 この一文を読んで小生は自分の両親のことを思い出した。92歳で亡くなった父親と94歳まで生きた母親は、いずれも意識もない植物状態で数年間「生き続けて」から老衰で亡くなった。こんな状態になってもまだ生かせておかなければならないことに疑問を感じていたが、自分としてはどうしていいのか分からず、結局病院の言われるままに「治療」させてしまったのだ。
 あそこまでして人を生かせておくことに意味があったのか。まったく意識もない人間の気管に穴を開け人工呼吸器を付け、胃に流動食を無理矢理流し込む。これは人間の尊厳に対する侮辱ではないかと思っていたのだ。むしろ治療を拒否して自然なままに、眠れるような死を選ぶべきだったと今は後悔している。
 どんなに医学が発達しても人が死ぬことから逃れることはできない。遅かれ早かれ人は皆死ぬ。永遠の生命、不老不死はないのだ。それに対して医師はどう向き合うか。長く生かすことではなく、患者ができる限り幸せな道を歩んで人生を終えていくことをサポートするのが医師の仕事ではないかと言うのだ。
 医師の仕事は死に向かうまでのプロセスを大切にすることである。その間の生きるプロセスを大切にする。「そこに価値を持たないと、医師の仕事は機械的な延命になってしまう。医師たちは治療がベストなときはそれにベストをつくす。治療できない場合は ”何もない” ではなく、次なるベストを探していく。患者が悪くなる経過のなかで、自分の人生に向き合い、残された時間で何を望んでいるか、それをできる限り達成できるように尽くしていく」ことだと山崎医師は言っている。
 誰もがいずれは死に向かい合う時がくる。そのとき人は自分の人生の意味を理解するだろう。自分の人生に於いては機械的な延命によって無理矢理生命を維持させられることは避けてほしいと思っている。眠るように自然にこの世から消えていくのが理想である。
人の死と終末医療 (No.1225 11/11/14)_d0151247_204586.jpg
パリ、クリュニュー中世美術館にあった葬式風景を描いたタピスリ(タペストリー)。死んだのは高貴な人なのだろう。死者を悼む人々の様子が、赤い糸で驚くほど繊細に刺繍され、まるで絵画のような迫力があった。中世芸術傑作の一枚である。
by Weltgeist | 2011-11-14 22:58


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