ありがたい仏像や御札を拝めば病気はたちどころに治ります。あるいは、幸運を呼び込む**を買えば、お金持ちになりますよ、と言った誘惑に日本人は弱い。とくに判断力が鈍った年寄りとか、病気や仕事に行き詰まった困窮している人には溺れる者の藁に映り、しがみつきたくなる。しかし、**を拝んだら本当に病気がなおったり、お金ががっぽがっぽ入ってくるなら、誰だって拝む。 そんなうまい話は絶対にないと分かっているにもかかわらず、その勧誘にのってしまう人が後を絶たないのはなぜだろうか。分からないのは高額のお布施を払ってありがたい御札、ご本尊様を購入し、一心不乱にそれを拝む人がいることだ。お布施が多いほど信仰心が厚いと思っているのである。 拝む行為そのものが悪いこととは思わない。お布施の多寡で気持ちが左右されるような「最低の神様」を礼拝する気持ちがわからないのだ。素朴に神様に感謝し、あなたに帰依しますと拝むだけで十分なはずなのに、拝む方でもお金を出す代わりに見返りを要求している。これだけお布施を払ったのだからそれなりのことをしてくださいと神様に要求しているのである。そんな不遜な要求を受け入れる神様などロクでもないものと思うのだが、盲信している人にはこれが見えない。 信じるとは、理性が及ばない世界を信じることである。だから理屈ではない。他の人が「理性的に考えて」馬鹿げて見えることが、信じている人には通用しない。ここに信仰の原点がある。だから、こうしたことはすべて自己責任のことにならざるを得ない。我々から見て危ないな、と思えることでも本人が信じ、それで「幸せ」と感じているなら、それは仕方がないことで、我々がとやかく言うことではないのである。
by Weltgeist
| 2011-11-07 23:49
|
カテゴリ
以前の記事
2016年 05月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
最新のコメント
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||