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生命の尊厳ってどう考えればいいのだろうか (No.1183 11/10/02)

 いきなり気持ちの悪い写真を掲載して恐縮だが、前の山を散歩していたら、こいつが指の先に止まって血を吸い始めた。ふだんなら迷わず手でたたきつぶすのだが、今回は奴がどのような動きをするのか、カメラで写真を撮りながら観察してみた。
 すると、すぐに尖った口(? )を皮膚に刺して小生の血を吸い始めた。だが何の感覚もない。全くの無感覚なのだ。お医者さんの注射のように刺したとたんに痛みが出るようなら、蚊の吸血作戦は成功しない。血を吸い終わるまではあくまでも静かにし、吸い終わるとかゆい唾液の成分を残して飛び去っていくのが彼らのやり方のようだ。
 今回はかゆくなる手前の適当なところでもう一方の手でパチンとやったが、残念ながらわずかにタイミングが遅れて逃げられてしまった。蚊はすんでのところで助かったわけである。
 しかし、これの写真を撮ることに夢中になって指しか注意していなかったら、足の方を数カ所刺されていた。たちまちかゆみがに出て来て、そのかゆいことかゆいこと。スキあらば奴らはどこからでも攻撃してくる油断のならない連中なのだ。
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 蚊が体に止まったら誰もが手をはたいて蚊をつぶすはずである。ところが世の中にはそれをしない変な人もいる。アフリカ・ランバレネイの聖人と言われたアルバート・シュバイツアーは血を吸いにくる蚊をつぶすことに限りなき罪の意識を感じたという。彼は「生命の尊厳」ということを唱え、血を吸いにきた蚊も放っておいたと言われている。
 この世に生を受けたものはたとえ蚊のような害虫であっても、その命には尊厳性があり、生きることを尊重しなければならない。人間の都合で生き物に優劣を付けるのは間違いである。害虫だからといってむやみに殺すべきではないと、彼は血を吸いにきた蚊を殺さないのである。生命の尊厳思想に厳格であったシュバイツアーはペニシリンで細菌を殺すことにも罪の意識を持ったらしい。
 たしかに蚊だって同じ生命を持ってこの世に生まれてきたものである。それを血を吸うからといって当然のようにたたきつぶすのも考えものかもしれない。といってかゆいのはたまらない。聖人にはなり得ない普通の人はこの問題をどう解決したらいいのだろうか。
 そもそも世の中にいる多くの生き物は他の生き物を殺し、それを食べてしか生きられない。小さな生命を餌として食うものは、さらに大きなものに食われる生態系の食物連鎖の中で生きている。だからシュバイツアーが言う生命の尊厳は、もともとが実現不可能なことでしかないのだ。「俺は生き物など殺さない」なんて思っていても、どこか自分が気がつかないところで殺した生命を消費し、それを食べてしか存在できないのである。
 誤解が起こるのは、ある特定の生き物だけを重要視し、他は無視する態度だ。この極端な例が日本の捕鯨に狂信的な攻撃を仕掛けたシーシェパードである。彼ら自身がクジラは殺さなくても、他の生命を食料として殺し食べている自己矛盾に気がつかない。シーシェパードのリーダーは徹底した菜食主義者で、牛や豚などの肉は食べないというが、野菜にも命はあるのだ。百歩譲っても蚊のような下等生物はきっと平気で殺していることだろう。
 シュバイツアーの生命の尊厳は、生き物に高等とか下等といった区別はつけない。すべての生き物が等しく尊いのである。この思想は非常に重要で尊重しなければならないとは思う。しかし、それを徹底すれば人は生きることもできなくなる。自らの生命を絶つ以外に道はなくなってしまうのだ。そうなると今度は自らの生命の尊厳を損なうことになる。これは重大な矛盾である。
 生き物に区別をつけて、これは保護する、あれは有害だから殺すという考え方には疑問を感じる。しかし、実際にヤブ蚊が飛んできて肌に止まろうとすればそれをつぶすしかない。殺される蚊の命を考えれば、かわいそうかもしれないが、我々にはどうしようもないことである。この矛盾をどう解決したらいいのだろうか。誰か答えを教えてほしいものだ。
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by Weltgeist | 2011-10-02 23:35


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