昨日書いたように独裁者は何でも自分の思う通りにできる。法律なんかいらない。たとえそれがどんなに理不尽なものでも、「俺が法律」だと言えばそれがすぐさま法になってしまう。独裁者はこうして自分に都合のいいことを「正義」とし、守らない人は処罰されるのだ。リビアのカダフィも北朝鮮の金正日も、そうやって一般国民を苦しめてきたのである。
幸いなことに我が日本にはそんな悪法を発令する独裁者などいない。そう思っていたら、釣り仲間の作家・夢枕獏さんが送ってきてくれた最新の小説「大江戸釣客伝」(講談社)でとんでもない独裁者が日本にもいて国民はひどく苦しめられていた事が分かった。 日本の独裁者とは江戸幕府第5代将軍徳川綱吉(1646~1709年)だ。彼が出した「生類憐(しょうるいあわ)れみの令」がひどい悪法だったのである。丙戌年生まれの綱吉は異常なまでに犬を可愛がり、これを虐待した者は牢屋に送って厳罰に処すという「生類憐れみの令」を発布した。彼は人間より犬の方が大事で、町にいる犬を「お犬様」と言わせるほど可愛がった。そして、犬目付という専門職を設けて、犬を虐待している人を見つけたら、たちまち牢屋に入れてしまったのである。取り締まりは厳しく、犬を虐待している人を見つけて密告すれば賞金まで支払われたという。 そんな綱吉の異常さと生類憐れみの令のことも漠然とは知っていた。しかし、それは犬に限られたことと思っていたのである。ところが、獏さんの小説によれば綱吉の生き物への溺愛は次第にエスカレートし、犬だけでなく、猫や鶏など生き物一般にまでその対象が広げられ、魚の虐待も違反の対象となっていったらしい。そうなると困るのが当時の釣りを楽しんでいた町人や侍たちだ。生類憐れみの令は魚をいじめることも禁止となる。つまり大好きな釣りもできなくなるのだ。それに違反した者は打ち首や島流しにまでなったと書いてある。 エーッ、釣りまでも、と言いたいが、一人の気まぐれな独裁者によって魚をいじめる釣りはままならないと禁止されてしまったのである。 「大江戸釣客伝」はそんな悪法を発布された元禄時代の釣り師の困惑を描いたものである。登場する人物は、松尾芭蕉、その弟子の榎本其角、絵師の多賀朝湖(英一蝶)、紀伊国屋文左衛門、それに日本最古の釣り指南書「何羨禄(かせんろく)」を書いた津軽采女(つがるうねめ)等、歴史に残るそうそうたるメンバーに、津軽采女の義父である吉良上野介義央が赤穂浪士の討ち入りで殺される話などが複雑に入り組んで物語は進んでいく。 実際にこれらの多彩な人が釣りという共通の趣味でつながっていたのか、歴史にうとい小生には分からない。しかし、獏さんは当時の資料を入れながら、この時代に大好きな釣りを禁じられ悶々とした生活を送っている人達の涙ぐましい苦労話を巧みに書いている。 江戸湾鉄砲洲でのハゼやキス釣りのシーンはさすがに素晴らしい。魚を掛けて釣り上げた人達は皆生き生きとしている。そんな釣り好きが、法律で釣り禁止にされ、お上に隠れてしか釣りができなくなるのである。 獏さんの釣り好きを良く知っている小生は、もし小生や獏さんが生類憐れみの令で釣りが禁止された元禄時代に放り込まれたら、どんなにストレスがたまったろうかと考えてしまう。いやストレスどころではない。禁止されていた釣りの現場を押さえられて打ち首になった人もいたというのだから、ひどい時代である。 幸いにして今の日本ではこのようなことはないが、まだ外国では似たようなことが現実に行われている。例えば先日小生が行ったインドは昆虫採集が禁止である。この禁を犯したことがバレると罰金程度ではすまない。たいへんなことになるのだ。以前にはある日本人採集家がインドのダージリンで捕まり、刑務所に何年も入れられた例があるのである。たかが魚、たかが蝶と言うことなかれ、場所と時代によってはおかしな法律で犯罪者にさせられることがあるのだ。
by Weltgeist
| 2011-08-24 23:53
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