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イースターの礼拝に参加してきました (No.1042 11/04/24)

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 4月24日は2011年のイースター、復活祭である。処刑されて死んだはずのイエス・キリストが受難の週の最終日に復活したという、キリスト教徒にとってはもっとも歓迎すべきお祝いの日である。小生は今年のイースター礼拝を都下にあるインターナショナルスクールの教会で参加してきた。
 写真は朝8時半から学校の校庭広場で始まったサンライズサービスの後に出たブレックファースト(朝食)サービス。写真のようにパンケーキとソーセージ、果物と飲み物が付いた。パンケーキの上に乗っているジャガイモのような物はバナナのソースで甘くてとてもおいしかった。
 テーブルの上にはイースターで欠かせない鮮やかな色に染められたイースターエッグ。右下の黒い紙は旧約聖書・イザヤ書の言葉が入ったしおりである。写真では見にくいがしおりには
Those who hope in the Lord will soar on wings like eagles.
主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。
イザヤ書・40:31 と書いてある。
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 10時半より礼拝と聖書朗読、最後に今回キリスト教徒になる新しい信者のための洗礼式が行われた。今日の記念すべき日に洗礼を受けるのは全部で9人で、校庭広場に特設された水槽の中に頭までドボンと浸けられる。これで完全に罪を洗い流すのである。水に浸かる前に受礼者は自分がどうして洗礼を受ける気になったのか「証(あかし)」を語る。長い間無信仰だった人間が信仰の世界に入ったのだから、それなりの理由がある。「おれは神なぞ信じない」と言っていた人間がどうして信じるように変わったのか、9人それぞれの個人史を語るのだが、式次第は全て英語のため、小生の貧弱な英語力では理解しがたいところが多々ありすぎた。
 誰だって信仰の世界に飛び込むには紆余曲折や葛藤があったはずである。それなのに小生は受礼者が英語で語る心の変化を半分くらいしか理解できなかったのが残念だった。証の後、水槽に入ると、「あなたはイエス・キリストを信じますか」と牧師から最後の質問を受ける。この時点でまだ迷っている人なら「ノー」、「はい、信じます」と言った人だけが頭まで全身水に浸けられて、名実ともにキリスト教徒になるのである。
 
 死んだ人間が生き返ることは人間の世界ではあり得ないことである。ところがキリスト教を信じるとはイエスの生き返り、復活を信じることである。これは理性の問題ではない。理屈で考えたらどこまでいってもあり得ないことである。それを信じるとはあり得ないことをあったと心から信じるたいへんなことなのである。
 ここに宗教の本質がある。宗教を理屈で追い求める人はその立場を放棄しない限り絶対に信仰の道に入ることはできない。理屈で考えたら、無信仰な人には馬鹿げたことと映るだろう。しかし、宗教を信じている人に信じない人がいくら理詰めで説明してもそれは意味がないことである。両者には深い溝があって、飛び越えることが難しいのだ。
 キリスト教徒はイエスが復活したことを心から信じている。「復活は人がこしらえた作り話かもしれない」なんて思っている人は、キリスト教徒とは言えないのである。信じるとはあり得ないと思う理性を断ち切って、全身全霊でそれを受け入れることなのだ。
by weltgeist | 2011-04-24 23:34


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