田中好子・スーちゃんの早すぎる死 (No.1040 11/04/22)

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 今朝のニュースでキャンディーズのメンバーの一人だった田中好子・愛称スーちゃんが死んだと報じていてたいへん驚いた。まだ55歳、死因は乳ガンだったという。
 1970年代前半、伊藤蘭、藤村美樹の三人で組んだアイドルグループ・キャンディーズの人気はすごかった。「年下の男の子」「春一番」「微笑がえし」など次々とヒット曲を送り出し、彼女たちの歌声が聞こえない日はないほどであった。ところが人気絶頂のとき、突然「普通の女の子に戻りたい」と言って引退を発表。世間の若者から惜しまれつつ芸能界から去って行った。
 70年代はいわゆるビッグアイドルの時代で、キャンディーズと同時代には天知真理がいたし、後半には山口百恵やピンクレディがキャンディーズの穴を埋めるように人気者となっていった。一方でキャンディーズを引退した後のスーちゃんは女優としてカムバック。1989年「黒い雨」で日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・キネマ旬報賞・毎日映画コンクール・報知映画賞などで主演女優賞を受賞する大女優となった。
d0151247_23242491.jpg しかし、それでもファンはキャンディーズ時代のスーちゃんのイメージを持っていて、いつか三人娘が再びキャンディーズを復活してくれるものと、淡い期待を抱いていた。解散したピンクレディも昨年再結成されて活動を再開していたので、「♪♪・・もうすぐ春ですよ~・・・♪♪」という懐かしい歌声がもう一度聞けることを待ち望んでいたのだが、それもかなわぬまま旅だってしまった。

 先日の大震災で亡くなった方たちのことも含めて、最近は死の意味について考えることが多くなっている。人間はこの世に生まれたときからいつか死ぬことが運命づけられている。いつか分からないが、それは確実にやってくる。死は誰もが受け入れなければならないことだが、それにしても55歳という年齢は若すぎる。
 しかし、今度の大震災ではもっとずっと若い子供たちが沢山死んでいる。どうして人が死ぬ時期にこれほど差別があるのだろうか。できることなら全員が十分な寿命まで生きて送り出してやりたいと思うが、うまくいかない。
 死とは自らの人生をその時点で完結することである。いわば人生の総括の時である。我々人間は「早すぎる」とか「十分生きた」と判断するが、人間には理解不能な何か超越的な神のようなものが人の死を管理している気がしてならない。幼なすぎる子供が死んだとしても、彼らの死は我々が理解し得ない特別な意味があって召されたのかもしれない。人生は生きた時間の長さで価値が決まるわけではないのだ。短くとも、充実した意義深い人生を送ったと信じれば、残酷な死も容認できるのである。
 ソクラテスは、裁判で死刑判決が出たとき、自らの死について、「死は一種の希望である。なぜなら死はこの世からあの世への霊魂の移転であり、感覚の消失であり、夢一つ見ない眠りである。そういう驚嘆すべき利得である。私は今死んで、人生の困苦を逃れる方が明らかに良かったのである。」と言ったと、プラトンの「ソクラテスの弁明」には書いてある。
 死は怖い。しかし、ソクラテスのように霊魂がこの世から天国に移転したと考えれば、気持ちは楽になるだろう。スーちゃんもそのようにして天国に旅立ったのだろう。そう信じたい。
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by weltgeist | 2011-04-22 23:39


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