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見せつけられた人間の限界 (No.1031 11/04/13)

April is the cruelest month, breeding Lilacs out of the dead land.
四月は残酷極まる月だ、リラの花を死んだ土から生み出す。
( T.S. エリオット、The Waste Land 荒地 / 1922・西脇順三郎訳)


 福島原発事故がレベル7 に上げられ、チェルノブイリと同程度と発表されたが、不思議と驚きがない。別に政府がデータの発表うんぬんを言う前から、その程度の深刻さはあるだろうと推測していたので、やっぱりそうだったか、という気持ちがしている。しかし、このニュースを聞いて怒っている人がだいぶ出たようだ。
 政府は国民に嘘をついている、と息巻いている。だから今回のレベル7という数字も信用おけない。実際はもっともっとひどいのではないか心配しているのだ。彼らは原発事故は人災だから政府はしっかりしろと怒っているのである。
 しかし、そうであったとしてももはやどうなるものでもない。数値を変えて「もっとひどい状態でした」と言われても、外国に逃げるわけにもいかない。今住んでいる場所にとどまって耐えるしかないのだ。願わくばこれ以上の放射性物質の飛散が起こらないようにしてもらいたいだけである。一日も早く原発の不安を取り除いて頂きたいのだ。
 今回の震災、とりわけ原発事故を小生は「人災だ」とは思わない。人智の及ばない規模で起こった自然災害であると思っている。もし人災と言うなら、津波で命を失った人、家から財産まで一切を失った人、放射能の恐怖に怯えている人たちをも侮辱することとなるだろう。そんな危ない低地に家を建てる方が間違っていると言うのと同じである。被害に遭われた人は、ここまで自然の力が強烈だとは思いもしなかったのだと思う。
 毎日のように起こる余震や原発の状況を見ると、震災はまだ道半ばで、終息の気配を見せていない。まだまだ我々が予想もしなかった困難が起こってくるかもしれないのだ。しかし、こんな激しい地震も地球の歴史から見れば、地殻がほんの少し動いただけのことでしかない。
 そんなわずかな自然の気まぐれで我々はここまで痛めつけられている。自然とは何と巨大なものだろうか。圧倒的な力を見せつけられて、人間が如何にちっぽけであるかを思い知らされているのだ。我々はいままでそうした自然の力を過小評価しつつ生活してきた。そこに自然がしっぺ返しをしてきた気がする。
 自然は突然我々の生活を破壊したが、その後は何事もなかったかのように春の花を咲かせている。今日も津波で折れた桜の枝から蕾が出て開花しそうだというニュースをやっていた。同じ自然現象とは思えないほど優美で美しい姿を見せているのである。
 T.S. エリオットは「四月は残酷な月で、死んだ土地からリラの花を咲かせる」と長編詩「荒地」で歌っている。まさに同じ状況下に我々はいるのである。一旦死んだ土地からリラの花は咲く。そして人も生まれ変わるのである。
 人は今回の震災で覚醒した。いままで蔓延していた怠惰な生は生まれ変わっていくだろう。大自然が振り下ろした残酷な一撃を受け入れると共に、新たな戦いの道を進むしかない。またいつかやられるかもしれないが、荒れた土地に再び花を咲かせるしかないのである。
 我々に反省すべき点があるとすれば、自然に対する畏敬の念が欠如していたことである。今回の災害は自然が人間に与えた警告として受け入れれば、我々をより良き新しい世界に飛翔していくことができるだろう。だから、我々は逃げない。たとえレベル7 であっても、それを引き受けることで、この危機は必ず乗り越えられると確信しているのである。
見せつけられた人間の限界 (No.1031 11/04/13)_d0151247_22303436.jpg

by weltgeist | 2011-04-13 23:45


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