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60年ぶりに発見された田沢湖のクニマス (No.919 10/12/15)

60年ぶりに発見された田沢湖のクニマス (No.919 10/12/15)_d0151247_2154794.jpg 60年前に絶滅したと言われていた秋田県田沢湖特産のクニマスが東京海洋大客員准教授でタレントの「さかなクン」らの調査で、山梨県西湖に生息していることが分かったというニュースが駆けめぐり、各マスコミが一斉に報道していた。クニマスは田沢湖だけに生息するヒメマスに似た魚だったが、1940年に下流の水力発電所に供給するため強酸性の鉱毒水が流れる玉川の水を田沢湖に引き込み、1948年を最後に絶滅したと言われる。いわば完全な幻となった魚が、西湖で生き残っていたというのだから驚く。
 実は絶滅する少し前の1935年(昭和10年)にクニマスの卵10万粒が西湖に試験的に放流され、その孵化した魚が現在まで生き続けていたようなのである。西湖では以前から黒い色をしたヒメマスが獲れていたが、これは「ヒメマスの産卵した後のものでクロマスと呼ばれ廃棄していた。まさかクニマスとは誰しも思っていなかった」と西湖漁協の三浦組合長も驚きの言葉を言っている。
 田沢湖ではキノシリマスとも呼ばれたクニマスが本当に絶滅したのか。まだ絶滅を免れた魚が生き残っているのではないかと、15年前に田沢湖町(現仙北市)では発見した者には100万円の懸賞金を出すとまで言っていた魚である。しかし、その後懸賞金は500万円まで引き上げられたにもかかわらず、ついに発見されず絶滅は確実視されていた。
 今回のクニマスの発見がなぜここまで騒がれたかというと、クニマスが他のサケ科の魚とは違う謎を秘めた魚だったからだ。クニマスは紅ザケ(レッドサーモン)の陸封されたものであるヒメマスの変種と言ったのは有名な魚類学者ジョーダンとマクレガーである。彼らはクニマスに Oncorhynchus kawamurai   Jordan & McGregor 1923 という学名を付けて記載している。
 しかし、その後クニマスを実際に採捕、研究し、クニマスがジョーダンたちがいうようなヒメマスとは違った特別な魚であることを知らしめたのは、日本のサケ科魚類研究の巨人、大島正満博士である。
 大島は小生が生まれる前年の1941年に「サケマス族の希種田沢湖のクニマスについて」(日本学術協会報告第16巻第2号)という論文を発表している。今日のニュースを聞き、さっそく大島博士の論文集を取りだして、改めて読み直してみた。
 それによれば、クニマスは外見はヤマメ、アマゴに似ているが、鱗相やヒレ、えらの数などが大きく違う。「形態的特質はヒメマスにもっとも近いが、習性、生態、幼魚の形質はまったく異なる。クニマスは田沢湖特産の天然記念物に値するものであるが、その母系は不明である。クニマスは産卵のため周年湖岸に近づく。漁獲されるものはおす、めすとも成熟魚で、採卵孵化は一年を通じて可能である。クニマスの体色が黒いのは、二次性徴のあらわれであって、生殖腺の成熟に伴ってあらわれるサビた色である」というふうに、他のサケ科の仲間とはかなり違った特徴がある魚だと記しているのである。
 大島博士は昭和13年に田沢湖を訪れたとき、クニマスの稚魚を観察しているが、そのときの印象を次のように書いている。「この幼魚を見て直感するのは、クニマスはサクラマス、ビワマス、ヒメマスとはまったく別種であるということである。それならば日本近海に生息するどの種のマスの陸封種であるかというと、別表の形態的特徴が示すとおり明らかな近似種を認め得ない」と言って他の魚とヒレやえらなどの形態的数値が違うことを書いている。つまりどの仲間とも違うとはっきり言っているだ。
60年ぶりに発見された田沢湖のクニマス (No.919 10/12/15)_d0151247_236529.jpg 左の写真のように、体の色がヒメマスとは全然違う。もし亜種程度の違いなら、60年の間にヒメマスと交雑して、姿を消していたろう。それが昔ながらの姿をとどめているということは、生物学的には生殖隔離(種が違えば交配しないこと)がおこなわれていたわけで、まったく別種と思っても不思議ではない。魚に興味の無い人にはたいした話題でもないだろうが、サケ科魚類に思いこみが強い小生にとっては、今日のニュースは久しぶりに興奮した。

*画像は今夜のNHKニュースからDLしました。
by weltgeist | 2010-12-15 23:53


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