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領土問題解決のヒントとして、カントの「永遠平和のために」を読む (No.881 10/11/07)

領土問題解決のヒントとして、カントの「永遠平和のために」を読む (No.881 10/11/07)_d0151247_2123463.jpg 尖閣諸島の領有権や北方領土の問題で日本は袋小路に追い込まれている。そんなとき、昨日アルツになったカントのことをとりあげたが、彼が領土問題とか国家の侵略、戦争、平和などについて書いた小冊子「永遠平和のために」 ( Zum ewigen Frieden / 1795年 ) があることを思い出したので、今日はカントがこうした問題をどう考えていたのか平和論から見てみたい。
 東プロシアの首都ケーニッヒスベルクに生まれたイマニュエル・カントは、自分の生まれた町からほとんど外へ出ることなく一生そこに住み続けた。ケーニッヒスベルクは1945年のドイツ敗戦までドイツ領だったが、今はロシア領となり町の名前もカリーニングラードと変わっている。カントの時代、周辺では領土の争奪戦が行われたのは日常的なことで、すぐ隣のポーランドなどオーストリア、プロシア(ドイツ)、ロシアが三回に渡る侵略統治で、国土のすべてを占拠してポーランドという国そのものがなくなってしまったというたいへんな時代であった。
 ケーニッヒスベルク周辺にはドイツ人、ロシア人、ポーランド人、リトアニア人など様々な民族が入り混じって住んでいて、しばしば国境線が戦争で変えられた複雑な時代であった。そのプロシア辺境の町で「純粋理性批判」や「実践理性批判」「判断力批判」という三大批判書を書いて哲学界の巨人となったカントが、本職の哲学を離れて、いかにしたら領土戦争を止めさせ、永続的な平和が得られるかを論じたのがこの本である。カント哲学は難解だが、この本は平易な文章で語られていてとても読みやすい。偉大な哲学者カントは国家と戦争、平和については以下のように書いている。(テキストは右にある集英社刊、池内紀訳を使用)

「いかなる国もよその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない。いったいどのような権利があってよその国に干渉できるのか? みずからの国民を憤慨させているからか? 一国の国民に生じた無法状態は、他の国民にはむしろ大きな悪の実例として警告となるはずだ。」
 こうしたよその国に対するお節介って、昔と変わらず行われている。かっては中国を侵略した日本もそうだし、ベトナム、イラク、アフガニスタンなどに侵攻したアメリカは今もやっている。また 9.11 テロでワールドトレードセンターを攻撃したアルカイダも同じ穴の狢である。

「国どうしがそれぞれの正義を主張する方法は、裁判所の審理のようにはいかず、戦争という形しかない。そしてたとえよい成果、つまり勝利を得たからといって、勝った方に正義があると決まったわけではない。・・そのためにも ”平和連合" とでも名付けるような特別な連合がなければならない。」
 領土問題の行き着く先は結局戦争となる。軍事力に勝った者が土地を占拠し実行支配して有無を言わさず「我が国の領土だ」と宣言する。本来土地は誰のものでもなかった。それに線を引いて「国土」と宣言するのである。旧約聖書に書かれた国家消滅と生成の歴史やアレクサンダー大王の侵略に昔の人は抵抗し、負ければ国を失いバビロニア虜囚のように奴隷の身に落ちていった。直近ではロシアのメドベージェフが国後島に来て「ここはロシアの領土だ」とあつかましく言っている。人間は数千年間変わっていないのである。しかし、カントは実に220年も前(永遠の平和のためにを書いたのは1795年)に国際連合、つまり国連の必要性を訴えているのは注目される。

「地球上の文明国、礼儀をそなえ、誇らかに商業をいそしむ国々がいかに非友好的であるか。よその土地、よその民族を訪ねるときの不正ときたらまことに恐るべきものである。アフリカなどの土地の発見にあたっては、誰の土地でもないとみなされ、もとの住民をまるっきり無視していた。・・この点、中国と日本は来訪者をよく見定めて賢明な対処をした。中国は来航は認めても入国は認めなかった。日本は入国をヨーロッパの民のうちの一つであるオランダ人に限り、しかも囚人のように扱って自国民との交わりを閉め出した。」
 カントは文明国、すなわちヨーロッパ列強諸国は「不正の水をたらふく飲み、みずからをこの世の選民とみなしていた」と書き、弱体、微力な非文明国を植民地にしていったことの悪について書いている。昔の「文明国」はやりたい放題のひどい国だった。アフリカからアジアまで植民地を広げ、無知な原住民から収奪の限りを尽くした。日本はそうした西欧列強を跳ね返した優れた国とカントが認めているのは注目される。昔の日本には力があったのだ。しかし、遅まきながら「先進国」の末席に座るようになった日本が、その後先輩先進国の真似をしてアジアに植民地を得ようと戦争したことまで、さしものカント先生も読めなかったようだ。

「いかなる民族も敵意をもった他民族と隣り合っている。力をもって対抗しようとすれば、どの民族も国家を形作らなくてはならない。その中でどのような体制が望ましいのか。人間の法に適合した唯一の体制は ”共和制 " だろう。多くの人がこれを空論だと笑い飛ばす。人間は利己的なものであって、崇高な国家の形式には耐えられないというのだ。・・民族がそなえている争いを好む心情を、法のもとに入れることによって平和状態を維持していく。・・言語と宗教は民族の混合をとどめ、分離しておくための二つの手段である。その違いのもとに互いに憎しみあい、戦争の口実ともなるが、それが文化を引き上げる、より広い調和へと人間を近づける。平和は自由の墓地の上にではなく、活気ある競争のなかの均整によって確保される。国家は戦争に向けてよりも、高貴な平和を促進するために合同を求める。・・要はわれわれがこの目的に向かって努力するかどうかなのだ。」
 国家の根幹をなすものは民族と宗教ということになる。イスラエルとパレスティナの戦いに象徴される民族と宗教のいがみ合い。しかし、カントはこうしたいがみあいが最終的には平和を求める契機となると考えているようだ。もう戦争は沢山だ、という意見が増えて民族宗教を越えた和解が成立するのだろうか。今の世界の情勢をみるととてもそのようには見えない。20世紀は戦争の世紀と呼ばれていた。21世紀はナショナリズムの世紀であろう。そこには自国の利益を排他的に主張する強固な民族主義の熱気がある。今においても他民族、異教徒間が和解する理想郷ははるかに遠いと言わざるをえないのだ。しかし、それにも関わらずわれわれは「高貴な平和を促進するために」互いに和解する努力をすべきだとカントは訴えているのである。

「蛇のようにズル賢くあれ、と政治は言う。鳩のように正直であれと、モラルは説く。モラルと政治が一つの屋根に住めないとすると、当然のことながら争いが起こる。・・そこで誠実こそ最良の政治というのはどうだろう。残念ながらこれを実践するとひどい目にあう。とすれば誠実こそあらゆる政治に勝る、などというのは空論の極み。いやそうではない。すべての反論をこえた政治の不可欠の条件である。」
 政治家は誠実であってほしい。しかし、現実をみるとそれは絶望的である。理想的にはモラルある政治家が国を統治すれば平和はもたらされるかもしれないが、そもそも政治家の要件はモラルを欠いたズル賢い人だからこれは永遠に実現されないかもしれない。
 カントの平和論を読むと、高い理想主義を感じるが、彼の時代から200年以上経過しているにもかかわらず、現実はまったく変わっていないのだ。人間はどこまでいっても争いを起こすということであろう。人間の長くて愚劣な歴史を見ると、古来から人は領土を取ったり取られたりしてきた。本来の土地には国境線とか領土なんて文字は書かれていない。ケーニッヒスベルクをロシアに奪われ、町の名前までカリーニングラードと変えられたドイツにしても、ポーランドにしても、いずれもはらわたが煮えくり返るような思いをして今日に至っているのである。
 日本も同じように悔しい思いをしているが、歴史の流れには逆らえないことがある。、「目には目を」と騒ぐ人が出ても、結局はこのままうやむやにされてお終いになることだろう。力のある者が有無を言わさず勝者になる世界はこれからも変わらないない気がする。未来は明るくないのだ。
by weltgeist | 2010-11-07 22:02


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