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ルビコン川の岸辺で (No.804 10/08/20)

 釣りに行くときの小生はちょっと緊張した気持ちになることがある。釣り場のポイントを選ぶとき「この場所は釣れそうだ」あるいは「ここは駄目だ」という判断をしなければならないときがそうだ。坊主になるか、それとも大漁のウハウハ状態になるかの重要な分かれ道だから、判断には真剣にならざるを得ないのである。
 ポイントを決める判断は長い釣り経験から得た統計的なデータをもとにやっている。狙う魚の習性、例えばヤマメならどのような早さの流れにいるのか、イワナのいる淵の深さはどれくらいなのか、といったことと季節や時間などの要素を加味してポイントを決めている。いままでに経験して得たデータを思い出しつつ、最終的に「ここだ」と思うところを狙うようにしているのである。
 釣りだけでなく、何か物事を決めるときの判断は、知識と経験の積み重ねが重要である。経験の長い人ほど選択眼も確かなものになってくる。その点ではむしろ若者よりは経験豊富な年寄りの方が当たる確率は高くなると言えよう。亀の甲より年の功である。ダテに歳を重ねて来ているわけではないのだ。しかし、時々はそうした経験に基づく判断が全く役に立たないことがある。
 また釣りの例で恐縮だが、いままでの経験から自信を持って決めたポイントで全くアタリがなく、お手上げ状態になることがある。従来の判断方法が通用しないのだ。そんなとき次の一手を考えつくのは過去の経験データより「勘」である。釣りの上手な人は勘が鋭い人が多い。例えば磯釣りで渡った沖根のいつもは釣れるポイントでアタリがないとする。そうしたとき名人は「もしかしたら今日の潮の流れ加減だと魚は別な所にいるのではないか」というひらめきで普段とは全然違うポイントから魚を引き出してくる。過去のデータや経験に固執するぼんくらはいつまでも同じ愚を繰り返すが、名人は勘を働かせて苦境を乗り切るのである。
 これが人生のポイント選びとなると、釣りのような単純な読みは役に立たない。将来がどのようになるのか分からない場合がほとんどだからだ。人生において時々ぶっつかる重大な運命の分かれ道で、どちらの道を行ったらいいのか迷うことがある。そんなとき、今までの経験やデータだけに頼る人は、従来のレベルを越えることができない。釣りの下手な人が、釣れない場所にいつまでもこだわって自滅していくのと同じ轍を踏んでいて、新しい段階へ飛躍する決断が出来ないのである。
 人生では将来がまったく読めない中、自らの勘だけを信じてルビコン川を渡る決心をしなければならない場合がある。この会社に勤めてもいいのだろうか、この人と結婚してもいいのだろうか、この仕事をずっと続けていっていいのだろうか、といった先の読めない決断を前にしている人は沢山いるだろう。人には迷いつつどちらかに決めなければならない決断の瞬間というものが、長い間には必ずあるのだ。
 シーザーはルビコン川を前にして、ローマへの道を進むべきか、それとも止まるべきか決断を迫られたとき、迷わずルビコン川を渡った。こうしたシーザーの潔さに比べて、優柔不断でグズグズ迷い続けている人を見ると、彼らはいつまでも今の状態にこだわっているから新しい世界に飛び出すことができないのだと思ってしまう。無責任かもしれないが先の読めないことをウジウジ考えるより、「一度飛び込んでみてはどうか」と言いたくなるのだ。
 先のことなどやってみなければ分からない。しかし、グズグズ考えるだけでチャンスを逃がすより、とにかく自分の勘を頼りに飛び出してみる。そうすればまったく新しい状況が出てくるかもしれないのではないか。もちろん、思わしくない事になる場合もある。しかし、その時はその時、そこでまた考えなおせばいいのではないかと思う。
 小生の場合で言えば、昔、大学院の学生だったとき、アルバイトをしていた会社から「ウチの会社の社員になって働かないか」と誘われて、そのまま社会人になってしまった。あの時誘いを断って大学院に残っていたらどうなっていたろうかと時々思うことがある。もしかしたらオーバードクターで仕事もないまま、一生風来坊を続けていたかもしれない。
 しかし、そのときの自分の判断が正しいものであったのかどうかは、ずっと後になった今でも分からない。大学院に残って良い職場が見つかり、幸福な大学教授としての生活を送れたかもしれないし、プータローのままで終わっていたかは、誰も分からないのだ。分かっていることは新しい世界へ飛び込む決断を繰り返して今現在の自分がここにあるということである。それが良かったのか、悪かったのか、本当のところ自分では判断出来ないでいる。
ルビコン川の岸辺で (No.804 10/08/20)_d0151247_20285446.jpg
誤解のないように言っておくと、これはルビコン川ではない。栃木県の鬼怒川である。実際のルビコン川はこんな大きな川ではなく、ちょっとしたどぶ川のようだったと誰かが言っていた。
by weltgeist | 2010-08-20 23:57


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