人気ブログランキング | 話題のタグを見る

100歳以上のお年寄り行方不明事件について (No.789 10/08/05)

 あまりにギスギスした世の中では、自分のことなど誰も知らない世界に行って、一人でひっそりと暮らしたいと思うことが時々ある。面倒くさい世間のしがらみを離れて、自由気ままに静かに暮らせたらどんなにいいだろうか。周囲で自分のことを知っている人は誰もいない。まるで新雪が積もった銀世界に一歩ずつ自分の足跡を付けていくような、何とも魅力的な場所があるに違いない。そんな場所に逃げ込みたい誘惑に駆られた経験、皆さんはないだろうか。
 でも、それを誰にも告げずにいきなりやったら、周囲の人は驚き、行方を捜し回ることだろう。これは家出である。人がそれをやらないのは理性があるからだ。自分の周りには沢山の人がいて、人間関係や利害が複雑にからみあっている。その多くは嫌な義務感を伴うことだが、嫌だからと言ってそれを放り出すことは出来ない。それら何もかもを切り捨てて出ていく家出人の後に残された者は多大な迷惑を被るのだ。
 なんらの手がかりもなく身元不明で無縁仏のままひっそりと死んでいく。これも人生においてはちょっと魅力的な死に方ではある。しかし、周囲の迷惑を考えればとてもそんな勝手なことはできない。また、周りでそうした失踪者が出れば、必死になって探す努力をするのが理性的な人間のすることだろう。
 残された家族は心配して、警察に捜索願を出して見つけてもらうのが責任ある社会人の対処法だ。ところが、沢山いる家出人の中には捜索願を出さずに放っておかれる人がいる。今回、100歳以上のお年寄り行方不明事件で明らかになったのはこうしたことが原因のようだ。
 それぞれの家庭で特別な事情があるだろうから一概に行方不明者を探さないからと非難はできない。しかし、一般論として、家族の誰かが行方不明になれば、心配して探すのが普通ではないだろうか。捜索願だけでも出してあれば、行き倒れなどで死んだ身元不明人の数ももっと少なくなることだろう。
 許せないのはこれが年金の不正受給と絡んだ例だ。振り込まれる年金が受給者の手に渡るのではなく、受給する権利のない人が、「良いときに出て行ってくれた」と、捜索願も出さずにネコババする。だが、いくら不正受給をやったところで、永遠に隠し続けることは出来ない。120歳、130歳、140歳まで隠し通せばいつかはバレるはずである。それがいままでバレないで続いていたということは、制度上何らかの欠陥があったからだろう。
 ズルズルと不正を続けることを許したのは行政の怠慢である。そうした不正受給者には厳罰を持って対処すべきだ。これまで年金のための支払いを続けて、ようやくスズメの涙くらいの金額をもらえる年齢に達した小生には、何か割り切れないものを感じてしまう。何の犠牲も払わず、おいしいところだけを騙してかすめ盗る連中は無くしてほしい。そして、不正が発覚したら、それなりの処罰の対象として、「悪いことは結局高い物につく」ということを思い知らせるべきだろう。
100歳以上のお年寄り行方不明事件について (No.789 10/08/05)_d0151247_2313754.jpg
6月の末にわが家に遊びに来た知り合いの子供、K君が今日も来て、「山羊爺さん」(小生を彼はそう呼んでいる)の白いヒゲを引っ張って遊んでいった。この子はまだ2歳。100歳以上になるのはだいぶ先である。その頃には行方不明者もいなければ、年金不正受給なんてことも無くなっているだろう。しかし、日本経済が怪しくなった今の現状からして、もしかしたら、彼が「爺さん」になるころには年金なんて無くなっているかもしれない。
by weltgeist | 2010-08-05 23:29


<< 地デジ化はお済みですか (No... 巨匠を支えた二人の妻たち (N... >>