ビジネス界に最も影響力のある思想家として知られるピーター・ドラッカーについて、少し前まで小生はどんな人物なのかまったく知らなかった。それが、彼の思想に心酔している友人から勧められて、初めて「私の履歴書」という本を読んだ。この本は日経に27回に渡って書いた彼の連載をまとめたもので、ドラッカーの入門書としては最適と、友人が勧めたからだ。
しかし、この本を読んでいくうちに自分は何故か次第に不機嫌になっていった。本はオーストリア生まれのドラッカー青年がいかにして有名になっていったかが数々のアイデアのもとに紹介されている。だが、この本を読んでいて感じたのは「これは単なるドラッカーの自慢話ではないか」という不満だったからだ。そうして最後の方にきてデミングとTQCの話となり、小生の不満は怒りに変わった。 TQC(Total Quality Control=全社的品質管理)、80年代の日本の企業がどこもこぞって取り上げた品質管理運動である。この馬鹿げたお題目の下に、日本の会社の多くの社員たちが「いかにしたら高品質なものを生み出せるか」について延々と会議を続け、散々無駄な時間を浪費させられたものである。しかし、今もそれを続けている会社は恐らく皆無だろう。小生はTQCという言葉を聞いただけで、忌々しい気持ちがしてきて、不愉快になるのだ。 ドラッカーはTQCなんてことを評価していたのかと思い、この「私の履歴書」なる本は読むに価しないと判断した。そして、本を薦めた友人には「がっかりしたよ」と正直な感想を言った。これに対して次ぎに友人が勧めてきたのが、今回取り上げた「企業とは何か」である。彼は小生がドラッカーの考え方をが理解出来ていないと思ったのだろう。わざわざこの「企業とは何か」を自ら買って来て、「こちらを読んでぜひドラッカーを分かって欲しい」と言ったのである。 そこまで言うならこれは最後まで真剣に読まなければならない。そして、是非とも友人が言うようにドラッカーのすばらしさを引き出したいと思ったのである。だが、結果は同じだった。この本の扉には「本書は企業と産業社会についての世界最初の分析である。第二次大戦末期のドラッカーはGMの経営を内部から調べ、企業経営成功の秘密を探った」本であると書いてある。ドラッカーは世界最大の自動車メーカーGMを取り上げ、その改良すべき点を的確に指摘することで、優れた企業とはどうあるべきかを指摘していくのである。 しかし、不幸なことは、小生が「マネージメント」「会社経営」なるものにまったく興味がなかったことである。1960年代の反米、反安保条約という雰囲気の中で育った小生には、アメリカは米帝国主義であり、GMのような会社は労働者を搾取する帝国主義者、資本家の巣窟というイメージが焼き付いている。だから、企業を効率良くマネージメントするとしても、資本家(この本では経営側)を都合良く太らせるだけ、という想いから離れられなかったのである。 ドラッカーの頭にあるGMで働く人にしても、それはトップクラスの経営者のことであり、彼がいかにして下で働く一般労働者を効率良く企業の元に結集するかのやり方を上手に示しているだけなのだ。もし、この本でいうようなGMに自分が勤めていたとすれば、どのくらいの地位に立てるだろうかを想像してみた。すると、経営能力のない小生は決して管理職まで行けそうもない。GMの例で言えば、最下層の「工員」が妥当であり、いくら企業が良くなっても、所詮は利益の外に置かれた労働者以上にはなれないだろうという感じを持ってしまうのである。 だが、ドラッカーは経営者をマルクスが指摘したような「搾取する資本家」とは見ていない。だから会社が稼いだ利益は経営者が独占することは出来ない。「利益は未来の賭けに伴うリスクに対する保険であり、生産拡大に必要な資本設備の原資である」(P213)と言って、資本家の儲け独占を戒めている。 しかし、現実的には経営者は多額の報酬をもらうのに、工員はいつまでも工員であり、利潤の恩恵を受けるというより、経営者の恩恵を助ける役でしかない。一般的なアメリカ人にしても、せいぜい良くてGMで言うところの職長、日本で言えば課長程度でお茶を濁すことで会社を効率よくマネージメントしていくとしか小生には思えなかったのである。 実際ドラッカーが提案したいくつかのことは小生が勤めていた会社でもなされ、分権化などもやった。しかし、そのつど全体の動きが分からない将棋の駒である「歩兵社員」はただオロオロするだけであった。経営に携われない社員にとってはそれは迷惑千万な話なのである。 会社がいくら効率良くなろうと、人間の幸福はそれからは得られないというのが、小生の感想である。それをドラッカーは全然違う観点から論じていた。彼は企業が理想的に発展すれば、人も幸福になると考えたのである。実際、資本主義の本質は競争であり、相手をたたきつぶして勝ち残ることだから、効率良くなっても、必ず敗者が出来る。すべてを効率だけで管理しようとしてもそれから落ちこぼれる人を無くすことは出来ないのである。 本の主題が企業論だから、これは致し方がないだろうが、人は企業や社会だけでなく、非常に個人的な「実存」の中で生きている。ドラッカーの今回の本には「私」という個人と社会(世界)がどのようにしたらより良く結びつくことができるのかの記述が少なかった。彼は、「一人の人が市民としての権利を行使し、社会の一員として認められるのも組織における仕事を通じてである」と最後(P294)に記してある。人は組織、企業の中でしか生きられないというのだ。だから、人が幸福になるには、彼が言うように会社全体のマネージメントを考えながら企業に身を尽くして働く姿勢が工員に要求されるのである。しかし、残念ながら、日本の企業を見る限り、自分の会社の仕事に喜びを感じて働ける職場は非常に少なく、所詮は「金のためだけの仕事」になってしまっている。 ドラッカーの提言は企業を理想的に運営していきたい経営者には素晴らしいかもしれない。しかし、雇われている一般社員からみれば、「迷惑な提案」があまりに多すぎる。いかにもプラグマティズム的で、効率優先的に人間が見られるところに小生はドラッカーの限界を感じてしまうのである。 ドラッカーはアメリカ社会の特徴は中流社会であると言う。「中流階級社会こそアメリカ社会の信条であり、かつ現実である。・・アメリカ人にとっては、中流階級社会とは、誰もが意味ある充実した人生を送ることの出来る社会のことである。・・かくてアメリカン・ドリームにおける中流階級社会とは、無階級社会である。それはマルクスのユートピアにおける報酬の平等ではなく、正義の平等にもとづく無階級社会である」PP125-126 だが、ドラッカーはGMとアメリカの中流階級社会社会について述べていても、GMはつぶれ、アメリカの中流家庭は崩壊した。代わって出現してきたのは途方もない高額所得を得る一部の経営者と、無数の低所得者層だ。無階級どころか、新たな階級社会を産みだしたのである。これがドラッカーの目指したものの結果だった。彼の提言の先には破綻が見え隠れしているように小生は思えるのだ。 人の間をうまくすり抜けて調子よく人の上前をはねる。そんなことをドラッカーが目指しているように見えてしまう。こんな考え方は経営者の考え方であろう。こうした考えに凝り固まった経営者の下に働く労働者はかわいそうだな、と思ってしまう。
by weltgeist
| 2010-07-26 21:08
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