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ガチャピンの変身 (No.763 10/07/04)

ガチャピンの変身 (No.763 10/07/04)_d0151247_21585753.jpg この数日、朝起きて一番最初にすることは、「今日のガチャピンの状態」の確認である。鳥に食べられず、元気にしているだろうか、心配しながら雨戸を開けて、まずエノキの葉の上にいたアカボシゴマダラ(写真右)幼虫のガチャピンを見に行く。ところが、今朝は、どこを探してもガチャピンがいない。恐れていたように鳥が来て「ごちそうさま」と食べられたのではないだろうかと不安な思いにかられた。
 しかし、隠れ上手のガチャピンのことだ、きっとどこかにいるはずと、エノキの葉っぱを一枚ずつ見て回るがどうしても見つからない。慌てて庭に出て、それこを目が皿になるほど近づけて見ていたら、いた、いた。何と、昨日までは幼虫の姿だったのに、サナギになってエノキの葉っぱの裏側にぶら下がっていたのだ。
 奴は枯れた葉の陰になるエノキの葉の裏にほとんど隠れるような形でぶら下がっていた。枯れ葉が姿を隠すことを計算に入れて、サナギになる場所を選んでいたのだ。サナギの色といい形といいエノキの葉っぱとそっくりで、まったくものすごい隠遁の術を使っているのである。しかし、かわいそうだが、そうした邪魔な葉を少しどけて撮ったのが、下の写真である。
 昨日の夕方までは幼虫の姿をしていたから、サナギになったのは昨晩から、今朝までの間ということになる。彼はこの間に決定的な変身をとげたのだ。サナギの形も昨日見つけたあじさいの葉の裏についていたもう一つのものと同じだから、きっと同じ親から生まれた幼虫なのだろう。
 アカボシゴマダラのサナギがどのくらいの期間で成虫になるのか、小生には分からない。多分、明明後日から出かける外国から帰って来る11日には、もう蝶の姿になって大空を飛び回っていることだろう。蝶の先輩に聞けばアカボシゴマダラがサナギでいる期間を教えてくれるのだろうが、どうせ留守して自宅にいないので、このまま放っておいて、自然羽化したなら勝手に好きなところへ飛んでいけという心境である。
 子供の頃、学校で昆虫は卵→幼虫→サナギ→成虫と全く違った形に姿を変える「完全変態」をすると習った。しかし、実際に昨日まで幼虫だったものが、全然違ったサナギの姿になるのを目の当たりにすると、自然の驚異というものを実感せざるを得ない。さらにサナギが美しい蝶になって羽化していくことを見たらきっと感激することだろう。
 蝶は最初は不気味な芋虫のような幼虫をしている。それが最終的には上の写真のような美しい姿に変身するのだ。彼は子供の頃は「キモイ」と嫌われながら、最終完成形態では全然違った美を実現していくのである。人間はどんなに努力しても、このようにはいかない。頑張ってもそこそこのものにしかなれないだろう。一生の間に、ほんのわずかでも光り輝く瞬間があれば幸せと思うが、それもかなわず人生を終えていく人が大半である。それに比べれば、蝶の一生というのはなんて希望に満ちたものなのかと思ってしまう。彼の最終未来は光り輝いて終わるからだ。
 だが、われわれはともすれば成虫段階の蝶しかその存在価値を認めていない。確かに成虫の蝶は美しい。しかし、そこに至るには人から気味悪がられる芋虫の段階を経ていかなければならない。そして、悲しいことには多くの人たちはその芋虫がいつか蝶に変わるということを分かっていないのだ。だから、庭の植木に「虫」がつくと平気で消毒しながら、成虫の蝶は「きれい、きれい」と可愛がる。生物としてみれば、卵も幼虫もサナギもすべて蝶なのだ。そうした全体的な思考は、小学校の理科で習いながら、大人になると完全に忘れて、ただ目の前に見えている表面的な現象だけで物事を判断している。それが人間なのである。
ガチャピンの変身 (No.763 10/07/04)_d0151247_21202064.jpg

by weltgeist | 2010-07-04 22:28


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