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カール・ヤスパース、「哲学入門」 (No.761 10/07/02)

カール・ヤスパース、「哲学入門」 (No.761 10/07/02)_d0151247_17435094.jpg 昨日途中まで書いたヤスパースの「哲学の学校」の続きである。しかし、「哲学の学校」だけでヤスパースの哲学を伝えるのは難しすぎるので、今日は、「学校」以前に彼が1949年にスイスのバーゼルで12回に渡ってラジオで講義した「哲学入門」( Einführung in die Philosophie 、草薙正夫訳、新潮文庫)をも手助けに利用しながら、彼の実存哲学をなるべくやさしく、分かりやすいように書いて見たい。
 さて、有限な人間は、無限なるものに出会ったとき、自分がとても限られた者であることを自覚する。人間は限界状況に置かれ、そこで挫折するというのが、昨日の話であった。限界状況とは、死、悩み、争い、罪責のように、我々がそれを超えることも変化させることも出来ないどうしようもない状況に置かれていることである。それに出会うことで人間は「挫折」し、生きる希望を失う。人はこうした状況に置かれている自分に絶望するのである。
 だが、その絶望は、人間が自分を超えたもっと大きなもの、無限の中ですべてを包み込むような絶対的なものの中にあることを自覚する契機ともなるのだ。有限な限界状況にいる自分は、それを包む無限なもの、包括者( Umgreifende )のもとにあることを理解してくるようになるのである。彼はこのことについて次のように言っている。「いかなる私も対象なしには存在しないし、いかなる対象も私なしには存在しない。もし両者がたがいに分離されないものであるならば、両者を一つにまとめている一者は、いったい何であるか。われわれはこれを包括者と呼ぶ。これは主観と客観の全体であり、それ自身は主観でも客観でもない。主観――客観――分裂はわれわれの意識の根本構造である。この構造のなかで、包括者の無限の内容がはじめて明るみに達する。存在するすべてのものは主観――客観――分裂という包括者のなかであらわれるのでなければならない。」P65
 上の文章はちょっと分かりにくい。しかし、小生が以前「ファジーな真理」という題名でデカルトからハイデガーまでの真理探究の道を述べたとき哲学者に常につきまとっていた主観と客観の対立の問題を思い起こしてもらえばある程度理解できるのではないだろうか。人間が自分、すなわち主体を知りたくても主体が客体をとらえていくという考え方をしている限り、絶対に主体はつかまえられなかった。主体が主体をつかまえることは不可能だからだ。実存は本質の前に滑り落ちてしまうのである。この悩ましい問題をヤスパースは包括者という概念を持ち出して克服しようとしている。ここには彼がカントの強い影響を受けていることが読み取れる。すなわち現象界に住む人間は決して本体界に達することはできないとした考え方を踏襲しているのである。
 ではヤスパースが言う包括者とはどのようなものだろうか。それはカントと同様に人間の能力を超えた所の超越者( Transzendenz )であるから、人間の能力では知ることができない。だが、それにも関わらずわれわれがそうしたものを思い浮かべることができるのは、超越者の方から我々に何らかの伝達があるからである。ヤスパースはそれを暗号( das Chiffer )と言う言葉で言っている。
 科学技術は世界を様々に解明してはいる。「だが、いままでのところ世界全体についての科学的みのり豊かな統一理念は一つも存在しない。世界はそれ自身からとらえられるべきではない。・・世界は物質から、生命から、精神からとらえられるべきではない。知られえない実在が認識可能性に先行している。しかも(通常の)認識によってはこの実在は到達されない。われわれの認識にとって、世界は計り知れないものである。・・・この世界畏敬はすべてを包括するまなざしであり、いかなる特殊なもの個別的なもののうちにも、暗号としての現実的世界を見る。かかる暗号は科学的研究にとっては無にひとしいものである。」PP35-37
 われわれは限界を超えて我々をつつむ包括者に思いを馳せるとき、そこでは主観と客観の分裂もなく、超越者が示す暗号に出会うのである。世界は確かに科学的方法である程度は解明されるだろうが、それは決して世界の全体像ではない。むしろ人は限界状況から世界の全的認識は挫折せざるを得ない。しかし、その挫折を通して超越者がわれわれに語りかけてくる「暗号」が提示されていることに気づくのである。暗号を解き明かしたとき、世界は狭い人間的な視野を超えて、全的な広がりを持って我々の前に現れてくるだろう。それは我々が通常正しいものと判断する科学的研究とは全く別な価値基準のものとして現れるのである。
 世界は様々な暗号に満ちている。人間は絶望の深淵に立つことで、本来の実存に立ち返る。そのとき、暗号の意味が自ずから開示されていくのである。暗号を解読していく実存の場のなかで「人間は主観=客観の分裂を超えて、主客の完全な合一に達することができる。そこではあらゆる対象性も自我も消滅する。そのとき本来の存在が開かれ、そして目覚めたとき、それは最も深い、汲み尽くすことのできない意味の意識を残すのだ。」(入門、P45)
 まとめて見ると、人間は超えられない限界状況の中にあって、挫折を経験する。しかし、それを経験することでかえって、狭い人間世界の彼岸にある包括者=超越者(ヤスパースはこれを神と呼んでもいいと言っている。入門P45)が贈ってくる無数の暗号に出会う。人は己の実存をかけてこの暗号解明に取り組むことで、汲み尽くせないほどのものを得るのである。こうしてみると、人間の苦しい状況も、挫折も、絶望も、超越者(神)が与える暗号であり、それに自己の全実存をかけて取り組めば、光り輝く世界を得ることが出来るとヤスパースは言うのである。
by weltgeist | 2010-07-02 20:10


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