村上春樹、「1Q84」を読んで失望 (No.730 10/05/19)

d0151247_204791.jpg 今まで世間で話題になったベストセラーと呼ばれる本で良かったと言われるものは、小生の場合ほとんど無かった。経験からベストセラーで馬鹿売れした本はろくでもない物ばかりだから、近づかないようにしていた。しかし、村上春樹の1Q84が300万部も売れたと聞き、ここまですごいとその理由を知りたくもなる。それで小生としては異例の本屋さんでの購入で1Q84を読んだ。出来れば図書館から借りたかったが、1Q84はいくら待っていても「貸し出し中」でこのままだとあと1年くらいは待たないと読むことが出来そうもないと言われ、「本屋」に行ったのである。と言ってもそれは古本屋のブックオフ。あれだけ売れたのだから古本で出ているだろうと思ったら、見込み通りBOOK1と2がそれぞれ950円で売られていた。定価の半額である。
 最近さらにBOOK3が出たのでセットとなると3冊全部ないと揃わないことになる。とりあえずBOOK1だけを購入して、面白そうなら2と3も買うことにした。そして、とにかく1だけは読んだ。しかし、正直言って全然面白くない。こんな小説のどこが良くて300万部も売れたのか理解出来なかった。BOOK1を最後まで読むのもはっきり言って苦痛だったが、今日はその感想を述べたい。

 小生、村上春樹の作品を読むのは今回が初めてである。ただ、彼が一昨年イスラエルの文学賞の受賞式で「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵の側に立つ」と言ってイスラエルのガザ侵攻を非難したことに人間的な興味を持っていた。だから彼の作品はきっとヒューマニズムに貫かれたものだろうと、何の疑問もなく1Q84を読み始めたのである。
 物語は「青豆」と言う「女仕置き人」と「天吾」という小説家の卵の話が交互に出てくる構成で、出だしからなかなか緊張した場面で読者を引き込む。文体もストーリーの展開も各所に伏線を仕込んでいて、何か推理小説を読んでいくような面白さはある。さすがに世界的な評価を受ける作家だけあって、こんな構成は並の小説家には書けないだろうな、という気がする。
 しかし、読み進んでいくうちに、何か引っかかるものがある。ストーリーとしては面白いのだが、それ以上に小生の読書欲をそそるものがないのだ。読んでいて「もうこれ以上読みたくない」という気持ちになってしまうのである。そんな苦痛がどこからきているのか、最初は分からなかった。疑問の始まりは主人公の青豆と天吾の現実性の薄さである。交互に登場してくる青豆と天吾は、村上の巧みな文章で個性的な人間として際だって書かれているのだが、何故か実在感を感じさせないのだ。
 青豆はブランド物のファッションに身を包み、一流ホテルのバーで高級そうな酒やワインを飲んでいながら、人を殺し、男を漁ってセックスをする。だが、単なるスポーツトレーナーをしている30弱の女性が、そんな優雅な生活など出来ないことはすぐに分かる。若い世代、20代くらいの人なら魅力的な存在と映るのだろうが、小生の年代では「こんな若者はいない。虚構の中の人物だ」という気持ちが起こって、ついて行けなくなってしまうのだ。
 文学に登場する人物は必ずしも実在感がなくても構わない。カフカの「」や「審判」に出てくる主人公「」は、およそ現実離れした人間である。しかし、それでも読者はカフカの持つ魔術的な力で不思議な現実感を持った人間として「」を了解出来ている。ところが、1Q84で登場する人物、青豆も天吾も、ふかえりも、戎野も、柳屋敷の老婦人も、タマルも、その他沢山の人々のいずれもが、小説という虚構の中でしか登場出来ない人物であると読めてしまうのだ。どの人物も読者から突き放された所にいて、読者の心の中に入り込んで、気持ちを引っかき回してくれるような人物とはならない。いつも自分とは縁のない別世界の冷たい人形が動いているようにしか見えないのだ。
 1Q84で小生が期待したのは村上春樹の「卵の側に立つ」と言ったヒューマニズムである。ところが、ここに登場する人物たちはいずれもリアリティがないだけでなく、人間のネガティブな面しか出していない一面的な人物として書かれている。恰好いいクールな人間ではあるが、冷たく利己的で、自分だけの判断で世の中を動かして行こうとする。麻布のお屋敷に住んで夫の暴力を受けた妻たちを助ける老婦人にそれが典型的に現れている。暴力をふるった粗暴な亭主は悪い奴だ、という皮相的な理由だけで青豆に殺させるのである。たしかに妻を暴力で痛める人間は悪い奴かもしれないが、少なくともノーベル賞候補になるような作家なら、「人間における悪とは何か、罪とは何か、そしてどのような罰をうけるのがふさわしいのか」ということへの彼なりの解釈を示して欲しかった。人の価値を非常に単純な善悪だけで判断し、「悪」と評価された者は始末される。人間ってそんな単純なものですか、と村上に問いたい感じである。
 要するに、彼は「卵の側に立つ」と言いながら、実は人間の本質が見えていないのだ。逆に人間の中には卵をぶっつけられるような悪辣な存在がいて、それを「正義感に燃えた仕置き人」がやっつけるのが「善」であるという前提に立っている。しかし、やっつける人間の側にそんな権利があるのだろうか。視点を変えれば彼だって「悪い面」があるのに、それを見ていない。それは村上の人間観、すなわち人間に対する愛情がどこかで欠けていることから来ているのではないかと小生は思った。
 登場人物のすべてに、人間のネガティブさだけが見えて、読者はヒューマンな思いを見いだせないのである。アブノーマルなセックスで過ごす主人公たちにはやりきれなさしか感じない。だから読んでいる我々は主人公に感情移入出来ないのだ。本の中にとけ込むような没入感を持って味わう感動というものがないのである。
 正直いって、1Q84は小生が敬遠していた「ベストセラーブック」の一つに過ぎないと思った。小説としてのテクニックのうまさは認める。しかし、それだけが文学ではない。我々は最後のページを読み終えて本を閉じたとき感じる深い感動を求めているのである。今回はBOOK1しか読んでいないので、1Q84全体の評価とするには危険かもしれないが、小生この後の2、3を読むのは時間の無駄だと判断した。
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by weltgeist | 2010-05-19 23:42


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