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ある野鳥の死 (No.726 10/05/15)

 昨日の午後、薬師温泉を出て山の上の方に登っていったら、足もとから青いきれいな鳥が飛び立った。背中がブルーに輝くたいへんきれいな鳥で、思わず飛び去った先を見たら、なぜかポトンと地面に落ちた。というよりほとんど飛べないで、羽根をバタバタしているだけである。
 普通、鳥は警戒心が強くて、人間の姿を見ると高い木の上に飛んで逃げるものだが、地面にいるというのは何か変である。どこかに傷でも負っている様子で、まるでカルガモのように地面を歩いていく。どうやら飛ぶことは出来ないようで、3mほど行って動かなくなった。「おっ」と思い、忍び足で鳥に近づくが、1mくらいまで近づいても逃げないでじっとしている。それで急いで撮ったのが下の写真である。鳥はうずくまるようにして、不安そうな顔を小生の方に向けている。
 だが、最初の写真をデジカメのモニターで見ると露出不足で暗い写りとなっている。多分鳥はしばらく動かないだろうから、内蔵ストロボを照射しても大丈夫ではないかと、一瞬カメラの方に目を向けてストロボを立ち上げる動作をしていたら、鳥が再びバタバタと羽根を動かして逃げだした。しかし、空を飛ぶことは出来ないからまた数m先の草むらの中で立ち止まっている。
 何か悪いエサを食べたのだろうか。農薬のかかった野菜類か、毒虫でも食べて苦しんでいるのか、それとも怪我をして羽根が思った通りに動かせないのか、あるいは寿命で生を終えるのか、小生には分からない。しかし、彼が死に直面していることだけは確かのように思えた。この鳥はすでに死を覚悟しているのだろう。それを見たらかわいそうになり、追いかけるのを止めた。これ以上は彼に苦痛を与えるだけだからそっとしておこうと思い、撮影も中止したのである。
 小生は犬や猫などを飼ったことがあるから、ペットが死んでいくことを何度も経験している。しかし、このように完全な野生生物が死につつあるのを間近で見るのは初めてである。象は死ぬときは誰にも知られることなく「象の墓場」に行って自らの生涯を終えると言われている。以前小生が飼っていた猫のべーちゃんも、死ぬ少し前に積んである本の隙間に隠れていた。本の間から明るいところに引き出したら、数日後に妻の腕の中で死んだ。
 どんなものでも死を見るのは悲しい。しかし、これが自然の摂理。受け入れなければ、世の中には死なない年寄りがどんどん増えて、最後はパンクしてしまうだろう。こうして世代は交代していくのだ。エジプトのファラオは不老不死を信じてミイラを造ったと聞いたが、死んでいくから物事も美しいのだと思う。手塚治虫の「火の鳥」のように永遠に生き続ける不死鳥は、実は幸福ではなかった。彼は死にたくても死ねないことに悩みつづけなければならないのだ。
 昨日の青い鳥の名前がわからなかったので、本日、前の山で鳥を撮っている「鳥撮り屋さん」に下の写真を見せたら、「これはオオルリだよ」と教えてくれた。夏になるとフィリピンの方から飛んでくる渡り鳥だという。暖かい南の島から南シナ海を越えてようやく日本にたどり着いたところで、彼は天命をまっとうしたのだろう。
ある野鳥の死 (No.726 10/05/15)_d0151247_212591.jpg
鳥という生き物は本来木の枝の間を飛び交うものだが、この鳥、オオルリは何故か地面でバタバタしていて、小生が近づいても逃げない。何か重大な事態が彼の身の上に起こっているのだろう。この写真を後でPCで拡大して見たら、彼は口を開けて小生を威嚇しているような表情をしていた。じっと目を見開き、「こっちへ来るな」と必死で叫んでいるようだ。鳥にしても怖い人間がこんな近くまで来てカメラを向けたりしているのを見て、恐怖心に駆られたのだろう。珍しいカットが撮れたと思ったのだが、せっかくの写真に変な陰が背中の部分に入ってしまい、幸福な鳥の象徴である美しい青色がほとんど見えなくなってしまったのが残念である。
by weltgeist | 2010-05-15 22:05


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