「ライ麦畑でつかまえて」の作者、サリンジャーが1953年以来隠遁生活をしていたニューハンプシャーの自宅で亡くなったというニュースを昨日聞いて、「まだ生きていたのか」と驚いた。91歳だったという。それで今日は世界中で驚異的なベストセラーになったこの本を取り上げてみようと思ったが、肝心の本がどこかに紛れてしまってみつからなかった。従って、今日は本の写真は無し。「サリンジャー」についての小生の感想だけにとどめておきたい。
今の若者がサリンジャーを好んで読んでいるのかどうか知らないが、小生の青年時代は誰もがこの本を読んでいるのが当たり前で、読んでいないと「エッ、読んでないの、遅れてる~・・」と軽蔑されかねないほどの人気小説であった。しかし、ひねくれ者の小生、ベストセラーと言われると、意地でも読むものかと思い、多くの「ベストセラー」はスルーしている。元々、世間一般で受けるものなどろくなものはないと信じているからだ。この傾向は今も続いていて、世間で評判になったベストセラー本はほとんど読んでいない。 だが、なぜかこの「ライ麦畑でつかまえて」だけは読んでいるのである。理由は思い出せないが、多分、サリンジャーが変わり者で、高い塀に囲まれた家でマスコミを避けていると知ったからではないかと思う。しかし、読んでみてどうだったかと言うと、やはり「面白くない」というのが正直な感想だった。 たしか、その頃見た「コレクター」という映画で、蝶の標本を集める変質者が「標本用に」誘拐してきた女性にサリンジャーのことを話し掛けられる。女性は「ライ麦畑でつかまえて」を話題にして何とか変質者を懐柔しようと試みるのだが、蝶収集マニアの主人公は「あんなの金持ち息子が自分勝手な文句を言ってるだけだ」という趣旨(昔のことで正確なせりふは覚えていない)を語っていたと思う。小生もあの映画を見たとき、まさに同じように思っていたから覚えているのである。 小生が82年に始めてニューヨークへ行ったとき、主人公の高校生が妹とマンハッタンで「家出ごっこ」をするシーンを思い出しながら、ニューヨークの町並みをサリンジャーの目で見、セントラルバークを歩いた記憶がある。小生にとってサリンジャーはその程度の作家であった。所詮、ベストセラーになる本の多くはこの程度のものでしかない、という気持ちは今も全く変わっていないのである。 実はサリンジャーが亡くなった同じ日に小生は、ある知り合いの葬儀に出席していた。葬式はその家の墓があるお寺のお坊さんがお経を読んでいる間に、参列者が後ろでお焼香して死者を弔う。そして、全員が焼香を終えたら、喪主の挨拶があり、火葬場に送られて終わりである。 葬儀のやり方は寺の宗派や、その土地によって様々あるだろうが、基本的には葬儀屋さんとお坊さんとが式を進行し、我々はただ後ろでお焼香だけすればいい。今回もこのように葬式は進んで行ったのだが、小生は突然何か奇異な感じを受けてしまったのである。 一つは坊さんが読むお経の意味が全然分からないことだ。むにゃむにゃ言っているがこれでいいのだろうか。いや、むしろ坊さんは我々にわざと分からないような言葉を言っている気がしたのである。そして、難しいお経に合わせて鐘や木魚などを叩き、これまた意味不明な仰々しい動作をしている。こうしたことのすべてが葬儀を厳粛に見せるためのパフォーマンスにすぎないと思ったのだ。 葬儀に出席している我々は、坊さんがやる訳も分からないことをただ黙って見ているだけでいい。むしろ意味が分かったら厳粛さがなくなると思っているようである。昔の自分はそれが死者を送るための儀式だから、素人は黙って流儀に従えばいいと思っていたが、その意義を考えたら何か馬鹿らしくなってきたのである。 そもそも、死んだ人の霊とはどこにいるのだろうか。まだ、棺桶の中にある死体と共にあるのだろうか。それとも、すでに霊は抜けて天国なり地獄なりに行ってしまっているのか。いや、無神論者なら死んだところですべて終わりで、霊なんか存在しないと言うだろう。いずれにしても、たいへん曖昧でわかりにくい中で、我々は坊さんのお経を聞き、目の前にある祭壇と棺、戒名が書かれた位牌に向かってお焼香しているのである。 だが、本当に霊があるとすれば、すでにそれはもう肉体を離れて天国か地獄に行ってしまっているはずである。そんな祭壇や位牌にお焼香するより、心の中で「安らかに天国へ行ってください」と祈る方がずっと死者のためになると思ったのである。お坊さんは芝居じみたパフォーマンスをやめて、我々に分かりやすい言葉で黄泉(よみ)の国のことを教え、共に死者を送るのが葬式の本来の姿ではないかと思うのだ。 日本人は八百万の神(やおよろずのかみ)を信じていながら、結局は何も信じていない。だから真の宗教は日本には育たないと言われているが、このような仏教の「愚民政策」がその下地を作っているのだ。坊さんの意味不明のパフォーマンスは、一種の目くらましであり、人の死を利用したお金儲けではないかと思うのである。 ちなみに、たしか「ライ麦畑でつかまえて」の中で、主人公の知り合いが格安の葬儀屋チェーン店を作って大もうけした話が出てきたと思うのだが、小生の記憶違いだろうか。葬儀がお金儲けに利用されるのは洋の東西を問わず同じようだ。また、人嫌いだったサリンジャーが世間の人と最後に顔を合わせる葬儀がどのように行われたのかも興味があり、知りたいと思う。
by weltgeist
| 2010-01-30 23:26
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