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老眼鏡 (No.572 09/11/30)

 若い頃目が良かった小生は、眼鏡というもののお世話になったことがなかった。だから、始めて老眼鏡をかけたときは、その鬱陶(うっとう)しさに辟易とした。近眼で眼鏡をずっとかけていた友人たちは、こんな面倒なものを顔の前にくっつけていたのだと、このとき初めて実感したのである。
 両眼とも1.5というやや遠視気味の目をしていた小生は、遠くのものまで眼鏡無しにはっきり見えたし、暗い場所で辞書のような細かい文字も問題なく読むことが出来ていた。お袋が針の穴に縫い糸が通らないからと、しばしば小生に通してくれるよう頼んできたが、「なんだ、こんなものも見えないのか」と言いつつ、簡単に小さな針の穴に糸を通すことが出来たのである。
 細かい文字が見えなくなって最初の老眼鏡を作ったのは41歳の時である。普通の人は45歳を過ぎる頃からと言われるが、遠視気味だと早いらしい。それに、小生、その頃からすでに解像度の悪いワープロを使っていた。当時の暗くて出来の悪い液晶画面が早くに目を悪くする原因となったのだと思う。最近ではパソコン、携帯は誰も無くてはならないものである。こんな見にくい液晶画面を凝視し続ける現代人は、目が悪くなる一方であろう。
 老眼鏡のことを英語で Readingglass と言う。つまり本を読む時かける眼鏡である。常時かけている眼鏡と違って、本や書類を読むとき以外はかける必要はない。むしろ常時かけていると、遠くのものがぼやけて見えるから危険でさえある。老眼鏡は細かなものを見る時だけ取り出して使えばいいのである。
 しかし、このことが眼鏡に慣れていない小生のような人間には失敗の原因となる。第一は忘れることだ。常時かけている人なら眼鏡を忘れることなどあり得ないだろう。ところが、わが家では朝イチに老眼鏡行方不明事件が発生する。前夜どこに老眼鏡を置いたか思い出せないから、新聞が読めないトラブルが起こるのだ。
 不精者で整理整頓がまったく出来ない小生は、使ったものを片づけることなく放っておくからこのような事態になるのである。さらに困るのは外出したとき忘れることだ。大げさに言えば月に一度くらいの確率で持っていくことを忘れてしまう。最近はスーパーやコンビニで千円くらいの安物が売っているから急場はしのげるが、これは細かい度数に合わせてないから1時間も使うと目が痛くなってくる。あくまでも緊急時のみのエキストラにすぎないのである。。
 面倒なのは、老眼は歳をとるにつれてひどくなることだ。それに合わせて度数の違ったものを作り替えなければならない。小生の場合は3年くらいの周期で度が合わなくなって、これまでに5回ほど作り替えている。しかし、それも60歳を過ぎる頃から進行が止まっている。すでに老眼もこれ以上悪くなれない限界点まで行き着いているのかもしれない。
 ところが、最近、ある異変が起こっている。昼間の明るいところだと、なぜか老眼鏡なしで新聞が読めるようになってきたのである。信じられないことに老眼が治ってきているのだ。嘘だと言われるかもしれないが、本当に老眼鏡無しで新聞の細かい文字が読めてしまうのである。
 そんな馬鹿なことがあるのだろうか。とにかく小生にとってはこのことで老眼鏡から解放される朗報が来たと思って喜んでいた。それが、先日ある方から水を差されてしまった。老人性の眼病である白内障が進んでくると、一時的に老眼が治ったようになるというのだ。言われてみると、たしかに以前ははっきり見えていた遠景がかすんで見えるようになり、昼間明るいところに行くと目がすごくまぶしくなる。どうも白内障が起こって、老眼が一時的に解消したようになってきたらしいのだ。
 先日眼科の先生に診てもらったところ、小生の白内障はまだ初期段階のもののようだが、これが悪化すると怖いらしい。さらに、それ以外にも緑内障とか網膜剥離といった怖い病気があるらしい。とにかくもう若くないのだ。目が見えなくでもなったら、釣りも、蝶の採集も、旅行さえ行けなくなる。小生の人生真っ暗になることだろう。目だけは気をつけないとと改めて思っているのである。
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by weltgeist | 2009-11-30 23:11


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