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ニコライ・ゴーゴリ、「外套(がいとう)」 (No.560 09/11/18)

ニコライ・ゴーゴリ、「外套(がいとう)」 (No.560 09/11/18)_d0151247_23194047.jpg 以前、No.429でドストエフスキーの「貧しき人びと」のことについて書いた。だが、19世紀、帝政ロシアの底なしの貧しさを生きる人たちの、苦難に満ちた生活を書いたのはドストエフスキーだけではない。むしろ「貧しき人びと」の前にゴーゴリが「外套」という作品を書いていて、こちらの方が有名なのだ。No.429では、ドストエフスキーの作品だけ取り上げたが、同じ貧しさをテーマにしたゴーゴリの「外套」は後でまた書くと予告しておいた。今日はそのお約束したゴーゴリの「外套」について書いてみたい。
 文庫本でわずか50ページ強の短編小説である外套は、短いけれど内容的にはとても濃密で、人が生きる意味について考えさせてくれる作品である。
 時は19世紀のロシア、サンクト・ペテルブルグ。主人公、アカーキー・アカーキエヴィッチはある役所に勤める9等官のしがない役人である。「ちんちくりんな背丈、うすあばたのある顔、一見して鈍そうなしょぼしょぼ目、少々はげ上がった額」の冴えない50男である。彼は役人という、当時としてはまともな職業についているにも関わらず、服も靴もボロボロの身なりをしている。安月給でやっと生きていけるだけの貧乏暮らししか出来ない彼には、新しい服も靴も買い換えるお金がないのである。とりわけ、ひどいのは外套、すなわちオーバーだ。長年着古して、つぎはぎだらけで、もう修繕も不可能になっていた。寒いロシアの冬を乗り越えるには外套は絶対無ければならないものだが、このままだと冬を乗り越えられそうもないほど傷んでいたのである。
 だが新しい外套を作るには150ルーブルはいると、仕立て屋に言われ、彼は途方に暮れてしまう。このままだと凍死しかねないからなんとしてでも、外套は手に入れなければならない。仕立て屋は150と言っても、それはサバを読んでいるから、たぶん80ルーブルもあれば外套は作れるだろう。だが、彼の手には40ルーブルしかない。残りをどうするか。「少なくとも向こう一年間は日々の経費をきりつめるしかないと決心した。毎晩お茶を飲むこともやめ、夜は蝋燭もつけない。もし何かしなければならないときは下宿の女将の部屋に行く。石の歩道を歩く時は靴が早く減らないように心がけ」るといった涙ぐましい節約の生活を始めるのである。それからというものアカーキー・アカーキエヴィッチは驚くほどの倹約とつましい生活をするのだが、幸運にも役所の長官からの仕事で特別賞与を得て、ついに外套を新調するのである。冴えない彼が新しい外套を作ったことは、たちまち役所だけでなく、近所の人たちにも知れ渡り、みんながお祝いをしてくれるやら、羨ましがるやらで、大騒ぎになる。あの当時は外套一つ買うにもたいへんなことだったのだ。
 だが、アカーキー・アカーキエヴィッチにとって、それは幸福な短い瞬間でしかなかった。不幸は音もなく近づき、たちまち幸福の絶頂から彼を引きずり降ろしてしまったのである。新調した外套を着てペテルブルグの少し寂しげな場所を歩いているところで、追いはぎが彼の外套を奪い取り、彼は冬のロシアの寒空に着の身着のままで放り出されるのだ。
 幸福だった瞬間から絶望の底へ放り込まれたショックはあまりにも大きかった。彼は動転のあまり、役所の序列を無視して、相当な上役と思われる「重要人物」に犯人を捕まえて、盗んだ外套を取り返してくれるよう警視総監に伝えてもらいたいと、直談判するのだ。だが、重要人物はたかが外套を盗まれたくらいで警視総監に訴えてくれと嘆願するアカーキー・アカーキエヴィッチの無礼さに腹が立ち、彼を罵倒する。「貴官は一体それを誰に向かって言っているのか分かっているのか。分かっているのか。分かってるのか。どうなのだ、と怒鳴り散らしながら、床をどしんと足踏みした」この重要人物の態度にアカーキー・アカーキエヴィッチは頭が混乱し、気を失って倒れてしまう。家に担ぎ込まれた彼は熱病にうなされたようになり、ついには憔悴しきって息を引き取るのである。
 貧しく無名なアカーキー・アカーキエヴィッチは「誰からも庇護されず、誰にも尊重されず、誰にも興味を持たれることなく、何のこれといった行跡も残さずに墓場に送られてしまう」のだ。貧しくも悲しい庶民のささやかな死で、彼はさみしい一生を終えるのである。だが、それで終わらなかった。彼の名前は死後、突然想像も出来ないことでペテルブルグ中に知れ渡ることになるのである。
 ネバ川にかかるカリンキン橋の付近で夜な夜な歩いている人に「外套を返せ」と迫ってくる幽霊が出没するという噂がペテルブルグの町に広がってくるのだ。外套を盗まれたアカーキー・アカーキエヴィッチが執念の幽霊となって盗まれた外套を取り戻そうとしているのである。
 そして、ある晩、シャンペンで酔っぱらった重要人物がカリンキン橋を通りかかると、後ろから誰かがすごい力で自分の襟首を掴んできた。振り返ると、ボロボロの服を着た死人の姿をしたアカーキー・アカーキエヴィッチの幽霊が「とうとうおれは貴様の首根っこを押さえたぞ。おれには貴様の外套がいるんだ。貴様は、おれの外套のために骨折るどころか、かえって叱りとばしたりしやがった。さ、今こそ自分の外套をよこせ」と言って、重要人物から外套をはぎ取ってしまうのである。そして、それ以来幽霊は出なくなったというのだ。
 「外套」を読むと、ドストエフスキーの「貧しき人びと」とまったく同じロシアの貧しい人たちの苦難が語られている。だが、前回小生は同じ貧困をテーマにしたものでも、内容的にはドストエフスキーの方が上だ、と述べた。ドストエフスキーは民衆が貧しく辛いことがあってもそれは「神が人に与えた試練であり、神の意志として受け入れる」という立場をとっていたからだ。それに対してゴーゴリの外套は、悲しいロシア民衆への愛情に満ちた物語として書いているだけである。
 文学を単なるエンターテインメントとしてとるなら、ゴーゴリの「外套」は文句なく素晴らしい小説である。だが、その中に思想的な深みがあるという点では、ドストエフスキーの「貧しき人びと」の方が上であろう。両方を読み比べてどちらが好きかと聞かれると、ちょっと答えに窮する。小生、ドストエフスキーも好きだが、名も無き貧しい人々へ愛情をそそぐゴーゴリの心優しさにもとても惹かれるのだ。ドストエフスキーは深いけれど少し重すぎる気がする。そして、ドストエフスキー自身が自分の小説は「ゴーゴリの外套があったから生まれた」とさえ言っているのである。ロシアの民衆の心を掴んでいるのはゴーゴリではなかったかと、「外套」を読んで思うのだ。
by weltgeist | 2009-11-18 23:49


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