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悪人に逃げ得はない (No.557 09/11/15)

「この世には 数多くの不正が少しも罰せられることなく行われているように見受けられる。こうしたことは正義の神様が本当に実在しているのかということを、疑わせる元にもなっている。だが、そのような意見に、私は次のように言うことにしている。地上で罰が下されないことがあるのは、むしろこの世ですべての勘定が清算されるからではないからだ。なおその先に別な(死後の)生活があるにちがいない、ということがまさしく想像出来るではないかと・・」
カール・ヒルティ 「眠られぬ夜のために」 3月10日の言葉


 世の中を見ていると本当に不公平だと思う。一生懸命頑張っていても報われない人が多すぎる。その一方で、何の努力もしないのに、いい思いをする人がいる。人はそれぞれ差があるから、そうしたものもある程度は仕方がないとは思うが、それでも納得出来ない思いがする。
 生まれの違い、たとえば大金持ちのお坊ちゃんに生まれ何不自由なく育った人と、食うや食わずの家に生まれた子では、出発点からして違う。この世に生まれ出たことに関しては自分の努力で何とかなる問題ではないから、諦めて現実を受け入れるしかないだろう。時代、場所、家柄など、どんな家に生まれてくるかに関して自分の希望を言える立場にはないのだから、生まれた後に文句を言っても仕方がないことである。
 我々が出来ることは生まれた後の自分を努力によって最大限に伸ばしていくことしかないのだ。だが、その後でも不公平は依然残っている。まじめな努力もせずに、悪いことをしてノウノウと暮らしている不届きな奴がいることだ。いわゆる悪党、こんな連中が大手を振って歩いている現実を見ると、不公平ではないのかと言いたくもなる。
 悪いことをすれば、捕まって裁きを受けなければならない。我々は悪は必ず滅びるということを信じている。悪いことをすれば絶対罰が下されると思っているからまじめに頑張れもするのである。つい最近も新聞を賑わせている詐欺容疑の女の逮捕などを知ると、「悪いことをすればきっと捕まって償いをさせられる」と思い安心もするのである。しかし、悪党のすべてが捕まる訳ではない。逃げ通す人も沢山いるのが現実である。。
 ヒルティが憤慨するのは、最後まで逃げ通して「幸福なままあの世に行く人」がいるという現実だ。正義の神様が悪党を捕まえて処罰してくれるという信念は、こうした現実の元では揺るぎがちになってしまう。しかし、ヒルティにはなお来世に対する信仰がある。この世の中ではいい思いをして逃げ切ったとしても、あの世に行った時は逃げ切れないだろうと思えば、怒りの気持ちも和らぐのである。
 キリスト教の信仰では死後の魂は天国に行ける者と地獄に堕ちる者とを大天使・ミカエルが振り分けると言う。以前、紹介したロヒール・ファン・デル・ウエイデンの多連祭壇画・最後の審判では、ミカエルが死んだ人の魂の清さを調べて、悪いことをした者を永遠に燃え盛る地獄の業火の中に放り込んでいるところを描いていた。
 日本でも死んだ人は地獄の入り口で閻魔大王(えんまだいおう)が死者の行動を記録した「閻魔帳」を元に、悪者を地獄に送り込むのと同じ発想である。
 前回紹介したウエイデンの「最後の審判」の本文で、「ヨハネの黙示録」や「ダニエル書」が死後の裁きをどう述べているか書いておいた。今回は旧約聖書の一番最後の書、マラキ書の最後に書かれた言葉を紹介しておきたい。旧約聖書のすべての預言は、下のような主(神)の言葉で締めくくられ、終えているのだ。悪いことをした連中に絶対逃げ得はない。小生もヒルティと同様にそう信じたいのである。


                      みよ、その日(裁きの日)が来る。
                      かまどのように燃えながら、
                      その日、すべて高ぶる者、
                      すべて悪を行う者は、わらとなる。
                      来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、
                      根も枝も残さない。
                                         マラキ書4:1
悪人に逃げ得はない (No.557 09/11/15)_d0151247_22572269.jpg
フランス、ブルゴーニュ地方、ボーヌの Hôtel-Dieu にあるロヒール・ファン・デル・ウエイデン(1400-1464年 ) の多連祭壇画・最後の審判( 1443ー51年 )のセンターパネル。戦う大天使・ミカエルが秤(はかり)で死者の魂の重さを量り、悪いと判断された者は向かって右側の地獄に送り込まれる。こうして、地上で逃げおおせた悪者も、最後は責め苦を受けることになるから逃げ得はないと信じられているのである。

by weltgeist | 2009-11-15 23:00


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