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ブログ上のミスは避けられないのか (No.555 09/11/13)

 今日のブログはナンバーが555と5が3つも並ぶぞろ目の日である。ブログもこのくらい書いてくると、時々ミスを犯すことが起こってくる。一番多いのは間違った文字をそのまま気づかずに使い続ける校正ミスだ。漢字変換はPCのIMEがやってくれるから、打鍵して出た文字をそのまま信頼して掲載してしまうミスが圧倒的に多い。次に多いのが勘違い。たとえばある事件の年号とか、数年前に一緒に釣りに行った人の名前を間違えるといった、記憶力の減退から起こるミスだ。
 こうしたミスはどんなに注意してもゼロにはならない。まだ学生だった頃アルバイトである出版社の校正をやったことがある。目を皿のようにしてゲラを見て、「パーフェクト、絶対見逃しはない」と自信を持っていても、見落としが出てくる。校正ミスは一人だと必ず見落としが出てくるのだ。同じ人が頭の中で勘違いしていれば、何度見ても同じ所を見落とす。複数の人に違った目で見てもらうとお互いの欠点を補完しあえるから校正ミスが少なくなるのである。
 その点でブログのような個人的なものは危ない。原稿を書く人も編集する人も校正する人もすべて一人だから、最初から最後までミスに気がつかないでいってしまう。しかし、ほかの人のブログは知らないが、小生が使っている「エキサイトブログ」は、後からミスに気づけば修正することが出来る。一般の印刷物と違って、間違いがあっても、瞬時に直すことが出来るところがありがたい。
 小生の場合は毎日アップすることを心がけているが、正直、これがとてもきついことがある。原稿がいつまでもまとまらなくて困っている間に締め切りである午前零時になってしまう。零時を過ぎればもはや翌日で、前日はアップのない穴をあけてしまうことになる。そんな時小生がやるのは、とりあえず未完成な文章でも当日の午前零時までに一旦アップしておき、「毎日更新」の実績だけは確保しておいてから、おもむろにアップした文章や写真を手直しするのだ。零時以前にアップした推敲もろくにされていない文章をそのあと「校正する」のである。
 「そんなのインチキだ」と言われるかもしれないが、能力がない小生ではそれが精一杯のことだからご勘弁頂きたい。これは昔の紙に印刷する例で言えば、ちょうど「初稿」に相当する。締め切り前に一旦入稿しておき、そのゲラ刷りで文章を手直しするというのは、昔の出版界では広く使われていた裏技である。だから小生もそれを時々使わせてもらっているのである。
 小生のブログのアップする時間を見ればたいていが23時30分以降、ひどいときは23時59分なんて際どい時間にアップしているものが多い。こんな時はたいていその後、中の文章を大幅に手直ししていることが多いのである。たぶん今夜もこのままのペースでいけばその手を使いそうである。
 しかし、これが他の人のブログにコメントなどで書き込む場合は手直し出来ない。そんなとき誤字、脱字、勘違いのミスなどやったら最悪である。間違ったものがずっと残って、恥をさらし続けることになるのである。
 いずれにしてもこうしたことは自分の「ミス」から起こったものだから、すべて自分が責任を負わなければならない。だから、極力ミスは犯さないよう細心の注意を払う必要があるのだ。
 しかし、ブログのミスはたとえ間違って長い間訂正されなくてもさほど影響はない。人に迷惑を掛けることも少ないから、ミスに対して寛容でいられる。だが、実生活におけるミスではやり直しが許されず、厳しい罰を受けることがある。たとえば自動車の運転でハンドル操作を間違えて、交通事故を起こすなんてことはその典型的な例である。ほんのわずかな注意力散漫から、相手の人生どころか自分の人生も台無しにするミスに発展する。
 仕事をしている人では、毎日が判断ミスとの闘いという厳しい場合もあるだろう。自分の目で「よし」と判断したものが、全然思惑違いのものだったり、売り買いのタイミングを逃して、商売に大穴を開けてしまったとか、考えてみると、人生とは限りなく起こりうるミスを回避する闘いの歴史でもある気がする。
 不完全な存在である人間はどんな賢者でもミスは犯す。ミスをなくす努力は当然だが、時々かわいそうなミスに対して世間一般があまりに厳しい制裁を加えることがある。ミスした相手を一方的に責めるのではなく、ときにはそれをフォローする優しさも必要ではないかと思うことがある。 
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by weltgeist | 2009-11-13 23:55


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