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モデルチェンジ=翻弄される消費者 (No.519 09/10/09)

「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまりたる例なし」
鴨長明・方丈記


 最近のデジタル関連製品はめまぐるしく進歩して、最先端技術の物を買ってもたちまち陳腐化した旧製品に成り下がってしまう。パソコン然り、携帯電話然り、そしてデジタルカメラも日進月歩の早さで進化している。早いスピードで走る電車に乗りにくいのと同じで、こうなると「新製品」を購入するタイミングも難しい。発売直後なら次の「新製品」が登場するまで時間はあるから陳腐化の恐れはとりあえずない。しかし、しばらくするといつ次の「新製品」が登場してくるか分からなくなる。時期を間違えると買った直後に旧製品のランクに落とされることもあるのだ。といって、新製品発売直後だと値段も高い。それが日を追うごとに値段が下がってくるから「もう少し待てば、もっと安くなる」と待ちの姿勢に転じると、次の新製品が登場して、また値段も上がってしまう。こうした動きの速い製品を買うのは難しいのである。
 よく言われるのは「欲しい時が買い時」ということだ。どこかで決断しなければ永遠に電車に乗れないのである。だが、そうやって決断して、満足するなら問題はない。以前自分が買ったPCが次の一週間で5万円も売値が下がったことがある。当時は最先端でこれ以上の性能の物は当分出ないだろうと思っていたのに、半年もしないうちに時代遅れの旧製品に成り下がった変化の激しさにがっくりした苦い思い出があるのだ。
 メーカー間の戦いは熾烈だから手を抜くわけにはいかない。立ち止まればたちまちライバルに追い越され、企業として存続出来なくなるだろう。競馬レースならゴールに入ればもう全速力で走る必要はない。だが、このレースはゴールが見えない消耗戦のような戦いでもある。そうした競争が製品の質を高めていく原動力であることは間違いないが、そのことでメーカーも、消費者も多大な痛みを感じながら走り続ける必要があるのだ。
 しかし、どんなに技術革新を進めても、いつかは限界に達する。もうこれ以上の革新は不可能というより、意味がなくなる段階があるはずである。そこまで上り詰めてもさらに次の到達点を目指して新たな競争を始めるのだろうか。今のように各メーカーが一分一秒を惜しんで開発競争を続けていくのは、何かただ前に進むことしか考えない病気に罹った状態と思わざるを得ない。行く先も分からず猪突猛進する「進歩絶対の思想」にメーカーも消費者も振り回されている気がしてならないのである。
 そんな現状は精神病理学的異常な世界と小生は感じる。なぜなら、今の庶民の生活は江戸時代の徳川将軍でさえ味わえなかったほど快適な生活を享受できていながら、江戸時代の庶民と比べてずっと「幸福である」とは言えないからだ。幸福の基準は物の充実ではないことを分かっていないのである、
 我々が今の変化に抵抗感を感じるのは、スローなペースで進化していた時代に生きていて、そうした速度が体の内蔵時計に刷り込まれているからではないだろうか。今の時代の早さに内蔵時計がついて行けないのだ。だから、もしかしたらこれから大人になっていく今の若者たちにとってはこのくらいのスピードが当たり前になるのかもしれない。
 デジタル製品の進化速度が速すぎると文句を言うのは、自分が旧世代の思いにしがみついているからに他ならない。年寄りの定番である「昔は良かった」の延長にすぎないのである。だが、そんなことを言っていると、たちまち置いてけぼりを食って、時代から取り残される。人が新しいPCや携帯、デジカメを使うのも、そうした恐怖感があるからだ。デジタルデバイドなどと言われ、今やコンピュータを使えない人は、完全に化石人間にされかねないことを無意識的に恐れている気がするのだ。
 ユーザーは新製品の絶えざるおいしいコピーにつられて、自分の持つ旧製品の惨めさを自覚させられる。新しい機能が充実した製品を持たないと、自分が何も出来ない惨めな存在であると思わされるのだ。仮に新製品を買ったところで、すぐまたそれは新たな新製品に凌駕されるほんの一時のことにすぎないのだが・・。
 進歩することはいいことだと人は信じ切っている。進歩がますます便利で快適な生活を産み出してくれるとの思いに皆が一斉に流されているのを感じる。それでいて、人間はいつまでたっても幸福にはなれない。幸福を保証する根拠を物の充実にしか求めないからだ。この恐ろしき進歩崇拝病は人類が滅亡するまできっと続くことだろう。行く川の水の流れが絶えないのと同じである。そして川は最後に水がなくなり、枯れてしまうのだ。
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昨日我が家の庭に咲いていた秋明菊をすでに旧製品として陳腐化しつつあるデジタルカメラで撮ってみた。台風の余波の風で花は大きくゆれているにも関わらず、旧製品でも何とかピントが合うところまで撮れるのだ。今なおデジタルカメラよりフィルムカメラに郷愁を感じている「フィルム派」の小生にはこれで十分。決して新製品の宣伝コピーに踊らされないようにするつもりである。といっても、時々はその誘惑に負けそうになるのだが・・・。
by weltgeist | 2009-10-09 23:20


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