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張成沢の公開処刑 (No.1858 13/12/15)

 張成沢の公開処刑の様子が少しずつ伝わってきている。どうやら機関銃で滅多撃ちにしたあと、遺体を火炎放射器で焼いたらしい。中世の頃魔女狩りで殺された女性は、死んだ後遺体を焼いて残らないようにしていたという。というのももしかして生き返ったとき、魂が戻るべき肉体が残っているとやっかいなことになるからだ。魔女の遺体は徹底的に消滅させて帰るべき場所を絶った。それと同じようなことを張成沢は受けたのである。
 土葬が一般的な北朝鮮で、ここまでやるのは粛正した金正恩が、それだけ張成沢亡霊に恐怖を感じていたということであろう。跡形も無く消し去れば、張成沢の亡霊、つまりいまも北朝鮮にたくさん残っている張成沢の手下が反乱を起こすことなどないと考えているのだろう。ここまでやる北朝鮮はとうていまともな国家とは言えない。
 ところでどんな人間も必ずやってくるのが死である。偉い人もそうでない人も、お金持ちで思い通りに生きてきた人も、貧乏で不幸な人生だったと悔やむ人も、美人も不美人も一様にみんな死んでいく運命にある。だから張成沢が処刑されたといっても、たまたま人為的に終末を早められただけともとれる。いずれはみんな死んでしまうのだから遅いか早いかの違いだけだとある友人が言っていた。
 たしかに理屈の上ではその通りだろう。しかし、寿命が尽きてあの世へ行くならともかく、独裁者の勝手な言いがかりで殺されるなんてたまったものではない。だが、張成沢だって前にたくさんの人を粛正してきたはずだ。だから因果応報で、最終的には自分も葬り去られた。こんな最悪の連鎖はこの後もきっと続くだろう。正恩は張成沢を抹殺したけれど、同じ刀で自分が殺されることも十分ありうるのだ。
 我々の常識では考えられないいやなことがすぐ隣の国で起こっている。こんな話題は早く切り上げたい。しかし、いつもこのブログに掲載している写真をどうするかでつまづいてしまった。まさか銃殺シーンの撮影など撮ったことはない。しばらく考えた末に、スペインの画家・ゴヤが何点か銃殺シーンの絵を描いていることを思い出した。
 ゴヤは不思議な画家である。「裸のマハ」とか、黒いドレスをまとった「黒衣のアルバ女公爵」のような女性の静かな美を描いていたかと思うと、いきなり「我が子を喰らうサトゥルヌス」のような暗いテーマの絵(いわゆる黒い絵)を描いたりしている。プラド美術館で下の絵を見たとき、小生は画家の心の落差の大きさに驚いた記憶がある。
張成沢の公開処刑 (No.1858 13/12/15)_d0151247_23113778.jpg
フランシスコ・デ・ゴヤ / プリンシペ・ピオ丘での銃殺 / 1814年 / プラド美術館。
by Weltgeist | 2013-12-16 23:55


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